『三木清』【現代日本思想大系33】編集・解説/久野收

2008年9月23日 23:03:49

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本だけがあれば生きていける。
食べなくてもいい。眠らなくてもいい。何もいらない。
本だけがあればなんとかなる。
と思い、豪語していたけれど、インターネットはいるかも。

こうやって、ネットワークに接続し、ある程度の情報を得る速度の速さ、
インターネットを上回るものはないんじゃないかな。
完全な正確性や完璧な出典を二の次にすれば、これほど便利な道具はない。
ある程度の情報で、大半の仕事は済んでしまう。
それは多分、仕事そのものがある程度の仕事だからなんだろう。

脚本を書いているときには、インターネットからの情報を採用することは
ほとんどない。
辞書をひく。類語辞典をひく。出典はその本をひく。
脚本を書くことがある程度の仕事とは違うんだな、と思う。

ネットワークに繋がっていると場所というものがなくなる。
どこにいても、そこがここになる。
そこという道具もここという道具も使い様だけど、
場所も道具だ、便利に使っている。

なんのことはない。
どこに移動しても、そこがここになる。
その現象が人間性の何かを変えたかと言うと、それはそれ。また別問題。
うーん、インターネット凄い!と、単に恐れ入る。
インターネットがなくなれば、と考えることもある。
だって、昔はなかったんだ。みんな順応するだろう。すぐに慣れるだろう。
あれば使えばいい。なければ無いだけの話。
これからもっと凄いのが登場してくるだろう。

いつも欲しいなあと思っている、
脳に直接接続するインターフェイスも近々発売されるだろう。
USBコネクタじゃ大きくて不便。もっと小さくて肉体に影響が少ないコネクタが開発されるはず。
そしたら、今のデータの保存形式やデータのやり取り、
音楽の聴き方、映画の観方、そんなものが全く変わってくるだろうな。
3時間の映画を3時間かけて観るという時間の使い方はされなくなるだろう。
脳に直接DLすれば、脳がそれを認識。3時間の映画も数分で、数秒で観れるだろう。

いいなあ、それ。

データのやり取りも相手と繋がればすぐにDL。いいなあ。

そんなものが発売されたら、飛びついて求める。使い倒す。
肥大化していく各種データを高速で扱いながらも、

本を読むだろうか。その時には、本も脳に直接DLできるはずだ。
紙に印刷するよりメリットが大きい。
そんな時にも、紙の本が発売されて、そして、自分は本を読むだろうか。
いつか、高橋あづささんと「インターネットは読むか、見るか」と
話したことがある。

一冊の本を脳に直接DLして数秒で認識できたとしても、
紙の本を1ページずつめくって読むだろうか。
数時間をかけて、本によっては数日をかけても読むだろうか。

『三木清』【現代日本思想大系33】
編集・解説/久野收


解説「三木清―その生涯と遺産」久野收

【思想的回顧】
「読書遍歴」
「わが青春」
「消息一通」
「自己を中心に」
「思索者の日記」
「私の果樹園」

【学問的出発】
「パスカルにおける人間の研究」

【マルクス主義研究】
「マルクス主義と唯物論」
「科学批判の課題」

【思想の体系】
「歴史の概念」
「社会科学の構造」
「構想力の論理―制度・技術―」

【文化批評】
「生存理由としての哲学」
「危機における理論的意識」
「政治の論理と人間の論理」
「解釈学と修辞学」

【宗教】
「親鸞」