●2冊かな●『生命の実相』/自傳篇(上下)・『美徳のよろめき』

2008年12月14日 00:04:19

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劇団再生の毎週の稽古。
公演が終わったばかりの今週も休まずに続けられる。
稽古に入る前に制作の打ち合わせをする。
作品を創り上げる目と数年先数十年先を見据えるマクロの目を併せ持つのが、ぼくなのか。
と、考えていると、食べたかったソーセージを市川未来に全部食べられた。

作品を創るというのはどういうことか。
演劇のエレメントをあらためて考える。
俳優がそこに居なければ演劇は成り立たないのか。
舞台がなければ演劇は成立しないか。
観客がいなければそれは成立しないのか。

目の前で高倉健が義憤に立つ。
唐獅子牡丹をしょて、立つ。

積もり重ねた不幸の数をどうして親に詫びようか
背中で泣いてる唐獅子牡丹

相変わらずこれまで重ねた悪事の数を数え上げる。
ぼくたちは罪人だ。

劇団再生の次の公演が決まった。
日時も決まった。タイトルも決まった。脚本を書こう。
一ヶ月か。書き始められるまで最短で一ヶ月。一ヶ月はかかる。
何をするでもなく、ただ頭の中を見続ける。
考えては脚本なんか書けない。考えて書けるの作文だ。売り物になんかならない。

考えない一ヶ月を考える。ぼんやりの一ヶ月を考えずに。
とはいえ、一ヶ月で書ける頭になるかどうか、それはまた別問題。
一ヶ月。来年の一月。そのときに書けなければそれまでだ。

劇団再生の次の公演。今あるの、あまりにも大きすぎるイメージ。

『生命の実相』/自傳篇(上下)(第19巻・20巻)谷口雅春
『美徳のよろめき』三島由紀夫

先日鈴木さんから送られてきた本を読んだ。
谷口雅春氏の全40巻の大著の一部。自伝篇だ。
これまで氏の著作はなぜか構えてしまって、取り組んでいなかった。
そりゃ構えてしまう。生長の家創始者だ。
言葉こそ真理そのものである、と喝破した。その人だ。

きちんと読んだ。一気に読んだ。
その言葉の優しさと易しさにはどんな創作もかなわないと感じた。
簡単な言葉でとんでもない哲学を語っている。
その哲学は、ヘーゲルの大系に近いか。
何冊もの哲学書を読むよりも、本書該当の数ページを読むほうが理解が深い。

谷口雅春。

鈴木さんはあらためて読み直した、と手紙に書かれていた。
読み終えて、鈴木さんに手紙を書いた。
鈴木さんとゆっくり話したいと思った。

その前にこの全40巻を読むべきかと、嬉しくなった。
現在取り組んでいる読書の何もかもを中断しても読んでみたいと思った。

劇団再生の次の公演が決まった。
タイトルを決めた。
最近読み終えた本を段ボールにまとめた。
今日は何を読もう。資料なんか読みたくない。仕事の本なんか読みたくない。
関係ない電話にはでないことにした。
今日は何を読もう。
楽しみにとってある本が何冊もある。
それに手をつけようか。いやいや、それは来年からか。
谷崎をもう少し読もうか、太宰を読もうか、三島をもう数冊か、それともドストエフスキー。
古典にも触手が伸びる。思想書も楽しみだ。
今日は何を読もう。

健さんが悪者をやっつけた。