●1650●『司馬遷』【世界の名著11】 『世界教養全集10』『世界教養全集17』

2009年8月7日 21:42:44

写真

写真

写真

こうして一冊ずつ全集を読んでいく。
1ページ1ページ、一冊、また一冊と。
机の周りには、まだまだ読み尽くせない全集たちが鎮座し、
未だ知らない思想家が胡坐をかき、
忘れ去られようとする思想が静かに笑み、
こうして、一冊ずつ全集を読んでいる。

苦行、という言葉が、浮かぶ。

なんだか、いろんなものを犠牲にして本を読んでいる。
まだ間に合うだろうか、と追い立てられるように本を読んでいる。
中学生くらいから、このあたりの全集を読んでおけばよかった。
あと何冊読めるだろうか、と追い立てられるように本を読む。

生活のいろんなことを後回しにして、
世間とのリンクを断ち切りながら、
社会とのケーブルをぶち抜きながら、読む。

そうしなければ、とても読めない。
時間がない。
日々の生活を限りなく合理的に作り、数分の時間を読む。
不義理を重ね、無沙汰を心に詫び、本を読む。

膨大な全集群と同じほどある見沢さんが遺した本。
どこに何の本があるのか、すでにまったくわからない。
読んだ本と読んでいない本が、ただ分けてあるだけの、この机の世界。

苦行、か。

そうかもしれない。

それにしても、知らないことばかりだ。
あちこちで偉そうにしゃべりながら、これほど何も知らない。
驚くほど何もわかっていない。
悔しい。読めば読むほど、悔しくなる。読めば読むほど、無知を知る。

そうして本を読む、その精神と、
稽古場にアクセルをあける、その精神と、
その果てしなく思える隔たりを不思議に思う。

その隔たりは、彼岸と此岸。
読書によってこちらに繋ぎとめられ、
演劇によってあちらに繋ぎとめられ、
その二極の引っ張り合いでぼくの体は引き裂かれる。
痛みが、ないわけではない。
痛みに、慣れたわけではない。

痛みが、始まると、「知るか!」と、
被虐的な読書を開始し、戦闘的なペンを握る。

『司馬遷』【世界の名著11】

(554)
責任編集/貝塚茂樹

「悲劇の歴史家」貝塚茂樹

「史記列伝」
『史記』関係年譜

年譜・人名索引

『世界教養全集10』

(552)
・「釈尊の生涯」中村元
・「般若心経講義」高神覚昇
・「歎異抄講話」暁烏敏
・「禅の第一義」鈴木大拙
・「生活と一枚の宗教」倉田百三

『世界教養全集17』

(544)
・「日本文化史研究」内藤虎次郎
・「黒船前後」服部之総
・「蘭学事始」杉田玄白 緒方富雄訳
・「おらんだ正月」森銑三