●1384●『諸子百家』【世界の名著10】『ゲシュタポ』『君はヒトラーを見たか』

2009年10月28日 22:20:35

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昨日、本を読みすぎて命を失うのなら、本望ではないか、と書いた。

『本を読みすぎて命を失う』とは、具体的にどういうことだろう。

これまで、
本を読みすぎて、バイトをいくつもクビになった。本を読みすぎて、異性と何度も不和になった。
本を読みすぎて、いくつかの社会と断絶した。
そんな連続律の果てが、『命を失う』ということかな。
それはなんだか楽しそうな行程だ。

高木が本を読みすぎで死んだらしい、そう聞くと、
鈴木邦男さんは『いいねえ』と手を叩き、祝福してくれるだろう。

墨子・孫子・荀子・韓非子を読んだ。
孔子・孟子・老子・荘子と共に、かつて一度は読んだことのあるものだ。
けれども、こうしてあらためて読むと、
(俺は一体何を読んできたんだ・・・)と思ってしまう。

孫子なんてのは、もう何度も読んだ。
それなのに、これほど理解が違うものか。愕然とした。
自分が嫌になってしまう。何も読んだいなかった、とぶっ飛ばしたくなる。
墨子も韓非子もそうだ。
だからといって、理解した! と言いきれる何かがここにある、とも言えない。
不安だらけだ。
確かに、あらためて中国諸子を読むと感服するし感銘を受けるし感慨を深くする。
でも、また数年後に読むと、(一体何を読んできたんだ・・・)と、思うのかもしれない。
じゃあ、これを読んだ数時間は、何の時間だったんだ、と・・・

いや、まあ、それはそれ。
今、これを読んで、確かに今と言う時点でわかるものはあった。

見沢さんのお母さんから電話だ。
元気な声。生前の見沢さんを忍ぶ。

明日、お墓参りに行って来よう。
きっと、いい天気だ。
脚本を書いた報告をしよう。
稽古に入った報告をしよう。
そして、お母さんのことを伝えよう。
見沢さんの遺したたくさんの本を一冊ずつ読んでいることも忘れずに話そう。
いい本ばかりだ。今では入手困難な本がたくさんある。

明日は、お墓参りに行って、そして、稽古だ。
今からうきうきして仕方ない。早く稽古場に入りたい。稽古をしたい。
劇団再生の稽古場で思うことはいつも同じだ。永遠にこの稽古が続かないかな、そう思う。

今日も読書。
そして、読書の手を休め、脚本を開く。明日の稽古を思う。
どうしよう、こうしよう、ああしよう、なんて考えることは全然ない。
稽古場に入って、劇団員を見れば、画が浮かび上がってくる。
脚本を開いて、読む。誰よりも読む。出演者よりも、スタッフよりも、読む。
丁寧に一文字ずつ飛ばさずに読む。嬉しくなってくる。
言葉が、上演を拒んでいる。けれども、上演を望んでいる。完全矛盾の中にあがく言葉たち。
そんな言葉を見ながら、その言葉に声をかける。

(てめぇらのことなんか知ったことか)

言葉、
じたばたするな。待ってろ、と。

最後まで読みきる。
観客の理解なんか知ったことか、と言葉がとんがった声をあげている。

(まぁそう言うな)

矛盾にあがく言葉つっぱる言葉とんがる言葉。彼らを見ていると嬉しくなる。

ぼくが書いたのは、単語じゃない。言葉だ。

『諸子百家』【世界の名著10】

(574)

『ゲシュタポ』渡辺修

(217)

『君はヒトラーを見たか』到津十三男

(204)

『ドキュメント現代史1・ロシア革命』松田道雄編

(389)

漫画


『マンガ版 刑事弁護ものがたり』大蔵省印刷局
『マンガ 会社の法律』寺島優
『ヒトラーと第二次世界大戦』柳川創造

『諸子百家』【世界の名著10】以外は、全て、見沢さんが遺した本だ。
ヒトラー・ナチズム関係の本がたくさんある。
これまで、避けてきたわけではないけれど、何故かあまり読まなかったカテゴリだ。
ヒトラー・ナチズムは、ほとんど読んでこなかった。
やっぱりどこか心の奥で避けてきたのか。

読み始めてみた。ヒトラーを思い浮かべる。
ナチズムという思想を脳内に構築してみる。
案外、すんなりと理解できる。ナチズムという思想に不合理な部分はない。
マルクシズム、ナショナリズム、ソーシャリズムなどと同じように、その思想において矛盾はない。

矛盾がないからこそ、一つの思想であり、一つの時代を作ったのだ。
その結果がどうであれ、ヒトラー・ナチズムは、一つの時代だった。
その審判を下すのは、或は下したのは、

一体何か。

ホロコーストは、ナチ政権が行ったユダヤ人に対するものだけでなく、
これまでの歴史で多く行われてきた。その審判を下すのは、或は下したのは、

一体誰か。

ナチ政権は、「劣等民族」「不穏分子」として
ロマ人、ポーランド人、セルビア人、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、
同性愛者、黒人、エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家をもその対象としたようだ。
とんでもないことだと、思う、も、ヒトラー文献を読めば読むほど、
その根拠となる思想が一貫し一徹していることに驚く。
一貫しているからこその結果なのか。

ぼくは、判断を下すことができずにいる。
ただ読んでいるだけだ。
ヒトラー・ナチズムに対して、何かを知る段階にもいない。
そんな場所だ。何かをわかったり、何かを判断でききるわけもない。
このことに対して何かを言えるとすれば、10年くらいは、先の話だ。

ただ、
見沢さんが、ヒトラーの一貫一徹に熱狂したことはわかりすぎるほどにわかる。
見沢さんが、ナチズムに傾倒していったこともわかりすぎるほどにわかる。
ぼくも、

そうだ、と言いきれる何かが、ぼくにあることも、実は、知っている。

興味の対象が自ずと向かうのは、今は、「ロシア革命」か。
なぜか、興味が向かう。
来月の公演『空の起源〜天皇ごっこ〜』において、
ロシア革命の各概念をそれぞれに止揚し、劇団再生に置き換えた。
その止揚する過程で、見沢さんの思想モチーフが重大な作用をした。

こうして本を読むことは、死の行進だ。と、また一つぼく自身の各論を構築してみるか、
見沢さん、と、呼んでみた。

明日は、稽古だ。劇団再生の稽古だ。

『諸子百家』【世界の名著10】

(574)
責任編集/金谷治

「中国古代の思想家たち」金谷治

「墨子」金谷治訳
「孫子」町田三郎訳
「荀子」沢田多喜男・小野四平訳
「韓非子」金谷治・町田三郎訳

年譜・索引