●507●『大正思想集』【近代日本思想大系33】と大刀剣市

2009年11月4日 23:09:51

写真

しかしまあ、それにしてもだ。
テロルだの革命だの書いているから、
問題にされたりするのかもしれないなあ、と思いつつも、(知ったことか)と書く。
あらためて断るまでもなく、形而上の話で、観念と概念の話で、
革命と書くことが一番しっくりくるし、
テロリストという単語が「そこに」すんなりと収まる。
だから、そう書いている。

一冊の本を読み終えた。
全集の中の一巻だ。『大正思想集』
感覚として、

大正という時代は、明治や昭和前期に比べて掘り下げてこられなかった感が確かにあった。
ぼく自身の中でもそうだった。
大正時代が明治・昭和に比べて短かかったからなのかもしれない。
明治と昭和につながる時間的過渡の見過ごされがちな狭間にすっぽりと嵌まり込んでいた。
そんな感じを受ける。

けれども、
こうして、大正の思想を編年に追ってみると、大変なことに気が付く。
明治が、大正に引き継がれたということ。
そして、大正は昭和に引き継がれたということ。
それは、当たり前のことかもしれないけれど、だから掘り下げねばならないことだった。

こらっ! お前はどうしてそこを読んでこなかったんだ! と頭をポカリ。

大正という時代。
1912年(明治45年=大正元年)〜1926年(大正15年=昭和元年)
この間にどんなことがあったか。

大正への助走として、
1910年の大逆事件、
1911年の辛亥革命
1912年の中華民国成立

大正時代にはいる。
天皇機関説論争・米騒動・孫文亡命・芸術座・第一次世界大戦・西田幾多郎・
河上肇・大杉栄・ロシア革命・老荘会・スペイン風邪・パリ講和・ヴェルサイユ条約・・・

芸術が生を求めて動き始めた。
女性が生を求めて胎動し始めた。
演劇が息吹を始めた。
文学が解放の鼓動を始めた。
世界が大きく動き始めた。

断片で把握していた事ごとが「大正」という一つの時代の中でリンクを開始した。

『大正思想集』【近代日本思想大系33】

(507)

写真

読書ばかりの毎日で、達磨面壁。面壁九年。
思考するのにこの手が邪魔だ。煩悩のかたまり。
こんな手なぞいらぬ。ええぃ邪魔よ、切り落としてしまえ。
こんな足もいらぬ。面倒だ、切り落としてしまえ。達磨面壁。

読書をしながら、なるほど、それもまた一興、いいな、と思う。
手も足もいらぬ。この頭があれば、それでいい。
手があるから余計なことを背負い込んでしまう。
足があるから無駄な足掻きを続けてしまう。

いっそのこと切り落とすか、と、

先日、『大刀剣市』に行ってきた。
主催は、全国刀剣商業協同組合という団体。

鍛え上げられ、灼熱の炎を入れられ鍛えられ、叩き上げられ、磨きこまれた無数の白刃。

ぼくの一振りを、と思い、会場に足を運んだ。
とはいえ、右から左気軽に購えるような金額ではない。
ぼくにとってやはりその全生を或は半生を透かし見るほどの金額だ。

鈍い光を放つそれらを見てまわる。
美術的に鍛えられたそれらもある。
実用第一に打たれたそれらもある。

一振り見るごとに頭痛が激しさを増す。鈍痛が走る。
頭痛を紛らわせようと、歌を口ずさむ。匕首五首。

一口の匕首悲し荒野在り 墨で汚しし 我の青刺す

真顔にて匕首見つめうながさる 立て刺せ殺せと なみだ流るる

あたらしき面をもとめて名付けえぬ 街をさまよひ 匕首悲し

やまひある獣のごとき心もて 今日もまた 匕首をぬく

何もかも壊してみたし一口の 匕首悲し 我の目をうつす

一振り一振り見ていく。
目に留まる一振りがある。手にした自分をその白刃に写し、熱が生まれる。
会場で夢想する。

あの一振りを握り締め、舞台に踊りでる。
その舞台で口にすべき言葉は決まっている。ぼくの革命論だ。一行の革命論だ。
その一行5文字の革命論を力に、ぼくは、その舞台で白刃を振り下ろす。

誰かの、何かの、何処かの、血が流れるだろう。
誰かが、何かが、何処かが、激動するだろう。

そうだ、テロリストになるんだった、と不意に思い出した。

一振り一振り見て歩く。
白刃に魅入られ、魔に魅入られていく匕首五首。

達磨面壁。
面壁九年。紅葉散る形而上。河岸に立つ達磨法師。
その目が今、見据えているのは何か。
この先、己の手足を自ら切り落とすことになる運命の達磨法師は今、
何を見据えているのか。
しっかと、上を見詰め、

達磨の上に空はあるのか。今日もまた、匕首を抜く。

匕首悲し 言葉も悲し

『大正思想集』【近代日本思想大系33】

(507)
編集・解説/今井清一

「国体に関する異説」上杉慎吉
「上杉博士の『国体に関する異説」を読む」美濃部達吉
「国体の異説と人心の傾向」穂積八束
「民衆的傾向と政党」丸山幹治
「芸術か戦闘か」荒畑寒村
「卑怯者の文学」荒畑寒村
「ケイある窓にて」平塚らいてう
「生みの力」片上伸
「人間性の為めの戦ひ」相馬御風
「大杉栄君に答ふ」相馬御風
「大日本主義乎小日本主義乎」三浦銕太郎
「大国大国民大人物」中野正剛
「渡瀬氏の『朝鮮教化の急務』を読む」柏木義円
「群集の勢力を利用して国政を左右せんとする風潮を論ず」浮田和民
「民衆運動を楽観す」林毅陸
「院内の議会と院外の議会」永井柳太郎
「立憲思想開発策」田川大吉郎
「岐阜市に於ける消燈同盟演説」茅原華山
「我が司法部の根本的謬見」小川平吉
「我憲政発達の九大障害」植原悦二郎
「社会と感激」中沢臨川
「相馬御風氏の『還元録』を評す」本間久雄
「立憲非立憲」佐々木惣一
「河上教授の『奢侈ト貧困」を読みて」櫛田民蔵
「法律の社会化」牧野英一
「国民意識と国家政策」大山郁夫
「国勢調査実施の急務」高野岩三郎
「工業教育の自由化」田中玉堂
「憲政に対する防長人士の責任」江木衷
「新らしい意味のデモクラシー」福田徳三
「思想問題として見たるサンヂカリズム」左右田喜一郎
「自由意志による結婚の破滅」伊藤野枝
「粘度自像」与謝野晶子
「与謝野・平塚二氏の論争」山川菊栄
「新らしき生活に入る道 二」武者小路実篤
「民衆は何処に在りや」加藤一夫
「政治運動と経済運動」高畠素之
「レニン政府の活動」浅田江村
「露国悲観す可からず」石橋湛山
「過激派を援助せよ」石橋湛山
「過激派政府を承認せよ」石橋湛山

●露西亜革命の感想●緒家
「生きる光明を与へたり」原田忠一
「民衆の威力」楠政市
「大きな同盟罷工」立花秋太郎
「恐る可き無自覚」島田良蔵
「他山の石もて磨けど」柴田日東
「良い薬を与へた」遠藤元吉
「先づ目を覚せよ」松村信一
「共同生存の意義を知れ」RA生
「正に危機は近づく」深川中嶺
「先駆者の悲哀」山崎国三
「弱い者いぢめは止し給へ」浜名兼三
「あたりまえだ」唯雄
「吾等の得たる教訓」安本仁
「工場主に好い教訓だ」武田秀次
・・・・・・・・・・・・・・・
●米騒擾の感想及批評●諸家
「法治国の問に答ふ」高島平三郎
「政府の一時的非認」三浦銕太郎
「暴動の輿論化を望む」星島二郎
「俺れの事は俺が始末する」高畠素之
「至極公平なる同情」布施辰治
「階級戦の第一烽火」内田魯庵

「米騒動の社会観」櫛田民蔵
「普通選挙と労働組合」境利彦
「欧州戦の齎すべき世界的革命」鷲尾正五郎
「新聞紙の民衆化」大庭柯公
「同盟罷業の頻発」戸田海市
・・・・・・・・・・・・・・・
解説・今井清一
参考文献
年表
著者略歴