●1069●『ドストエフスキーの詩学』『ドストエフスキー―謎とちから』『人間失格』

2009年12月29日 22:31:42



一体何本の脚本を書いたんだろう、と思った。数えてみた。
29本だ。今書いているのがちょうど30本目。
一作一作はっきりと思い出せる。どんな思いで書いたのか。どんな状況で書いたのか。
どれだけの資料を必要としたのか。精神レベルはどうだったか。
抗議の高さはどの程度だったか。どんな生活をしていて何を犠牲にしていたのか。
一作一作、はっきりと思い出すことができる。
30本か。

特に思い入れのある本もある。忘れられない本もある。
忘れてはならない本もある。大好きな本もある。いつかもう一度そのまま上演したいと思う本もある。
大幅に書き直したいと思う本もある。今も脚本を書いている。

劇団再生の忘年会が先日開かれた。
その二次会で、設樂秀行さんところくんと磯崎いなほと4人。劇団の話をする。
思ったことをそのまま話すことに躊躇いを感じることがなくなった。
本当のことを話す。嘘や虚飾やかっこつけた言葉はすぐに見破られる。
設樂さんは激動に生きてきた。今も心の中では革命の火花が散っている。

己が闇真っ暗くらの荒野に立ち 一言を抱く「世界は変わる」と

脚本がまったく進まない。
あとちょうど1ヶ月で本番のための稽古が始まるというのに、
脚本が書けない。イラついている。ただ、イラついている。機嫌が悪くて仕方ない。
脚本が書けない、ということは何度も経験した。
そのたびにやっぱり苦しみあがき、焦り慌て、あたふたと歩を進めた。
ここ何作は、稽古の初日にラストまで書きあがっていた例がない。
出演者やスタッフに申し訳なく思う。ただ、そう思う。ごめんなさい、と思いながらも、
どうしても間に合わせることができなかった。
そんな前例に慣れてきたわけではない。悪例だ。改善すべき点だ。
稽古初日には、脚本は完成されているべきものだ。
あと1ヶ月か。

なにもこれまでと比べてとりたてて難しいことを書こうとしているわけではない。
これまでと同じで見えているものをなんとかそのまま描きたいと思っているだけだ。
ただ、
自分の真似だけはしたくない。
培った経験や方法や手技によりかかり、手なりでは書きたくない。
手なりで書ける物でもない。
楽な道は選びたくない。
だからと言って苦しい道を選びたいわけではない。

正しいと信じる道を選ぶと、それは楽な道ではなく、苦しい道なだけだ。
正しいと信じる道が、楽な道であればどれほど楽か。

役立たずの手なんかいらぬ。切り落とせ! と背後で声がする。
役立たずの足もいらぬ。切り落とせ! とやはり背中から声がする。
ぽっかりと空いた真っ暗な無の中で両手両足を切り落とした自身の姿に歓喜する。

真っ暗なまんまんなかの無に自身を置き、ぼくは何を語るだろう。
語ることさえ不純に思うだろうか。
矢場の自狂の美しさに嫉妬しながらぼくは舌を噛み切る。
こんなに真っ暗なら目も入らぬか。潰すための両の手は、もうない。目を閉じ続け、
右も左も上も下もないまんなかに座り、言葉をただ目的とする。

祈りつつただ一言に祈りつつ 俺の名を呼べ俺の名を呼べ

朝方、携帯にメールが届いた。
あれ? と思った。寝る前にサイレントモードにして音が出なくしてあったはずだけどな、と。
それに、着信音がいつもの音じゃない。慌てて携帯を手にして、本文を受信した。
件名は、「我々のアドレスが変わりました」 我々? えっ? 誰だ?
どっかの劇団か、それとも極端な思想をもてあそぶだけの威嚇装置としての団体か。

本文を開く。

「高木さんに今一度お知らせします。
地球は、丸くはないのですよ。

我々はこれまで意を尽くしてお伝えしてきましたが、なかなか伝わらないようでした。
高木さん、これ以上派手な手段はとりたくありません。
これ以上無粋な真似はしたくはありません。
高木さんの周囲の方々に迷惑をかけるのも我々の本意ではありません。
ご納得いただきたく、メールを差し上げました。

高木さん、
地球は丸くはないのですよ」

朝の目覚めにそんなメールで目を覚まし、
なんだ? と思っているとピンポンとチャイムがなって目が覚めた。
チャイムは、夢ではなかった。
インタホンをとると、キリスト教の彼らだった。
イラついていた。
議論を吹っかける。

『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン

(602)

『ドストエフスキー―謎とちから』亀山郁夫

(262)

『人間失格』太宰治

(205)

「これは伝道なのか、布教なのか」
「この訪問に誰の意志が働いているのか」
「そもキリスト教とは何か」
「宗教なのか、教えなのか、生き方なのか」
「宗教とはなにか、教えるとは何か、生きるとは何か」
「それを説明した時点で、イエス本来の理想とは違うのではないか」
「イエスとあなたの関係を教えて欲しい」
「イエス以外のあなた方が確信犯的過激派の様相をみせるのは何故か」
「4つの福音書にあらわれているイエス本体のズレはなんだ」
「ヨハネ冒頭の言葉『はじめに言葉ありき』、
あなた方が今言葉を尽くしているこの状況は、イエスの語る『暴力』ではないか」

そんなことを問い続けた。何一つ満足な答えは得られなかった。
「ご興味があるなら、もっと詳しい人をよこします」と言われた。
思い出して、携帯のメールを開いた。
あのメールは残っているだろうか。もちろんなかった。やっぱり夢だった。

我が望み 世界の果てで「一言」と 窒息したいと夜ただ寂し

時間が欲しい。ぼくだけの時間。
二人になって一人を知る時間。一人になって二人を知る時間。

『ぼくにとっての日本は、
一枚の日の丸の旗であった。
風にひるがえる日の丸の旗を仰ぎながらぼくは思ったものだ。

なぜ、国家には旗がありながら、
ぼく自身には旗がないのだろうか、と。

国家には「君が代」がありながら、
ぼく自身には主題歌がないのだろうか、と。』

寺山修司は、そう書いた。

なぜ世界には時間がありながら、ぼく自身にはぼくの時計がないのだろうか。
なぜ芸術には存在がありながら、ぼく自身には質量がないのだろうか。
その答えが欲しかった。
ずっとずっとその答えを探していた。飛びたいと思った。飛びたいと思ってきた。
翼が欲しいと思った。翼が欲しいと思う。翼が生まれた、と思い背中を見たこともある。
何度見ても、ぼくの背中に翼はなく、達磨法師が静かに佇みじっと空を見詰めている。
自分の時間が欲しかった。
自分の存在が欲しかった。飛びたい。ただ、飛びたい。今、飛びたい。
ここから真っ暗の空に飛びたい。
どこまでも飛んで、世界の果まで飛んで、その世界の果で、

ぼくの一言に、窒息したい。

不意に、二十歳の原点が蘇る。
『独りであること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である』

こんなとこに居るのか・・・
なんだ、一人じゃないか・・・
高い木の上、なんだ、誰もいないじゃないか・・・
とりとめのない雑文。こんなもんならいくらでも書ける。
先日、万年筆の調整をした。
初めての店だ。
東京千石の小さな路地にある長屋。間口一間に満たない小さな工房。
万年筆一筋の一家。現店主は、3代目だとのこと。
一年使って、少々不具合の出てきた845を手渡す。
器用に分解し、ルーペでパーツを覗き込む。

いろいろな話をしながら、原因を探る。
どうやら、インクのようだ。色や名前やボトルに惹かれ使用していた『月夜』というインク。
どうもそれがよくないらしい。
粘度が高いのか、PHが偏っているのか、小さなダマができやすいとのこと。
ペン先を調整してもらう。
そして、インクをペリカン4001に変えた。

もう一本の万年筆も見てもらう。
12年使ってきたウォーターマンだ。
ペン先が方減りし、線が太くなりすぎていた。
それを説明すると、「これは名品だ。いいペンだ」といいながら、
ペン先を削り、調整。あっというまに治った。
万年筆は、よくなった。道具に不安はない。

真夜中に呼び闇の朝渇きながら この肺深くに言葉を求め

我が望み 世界の果てで「一言」と 窒息したいと夜ただ寂し