●669●12月/10445●2009年/128134●『シーシュポスの神話』『革命か反抗か―カミュ=サルトル論争』『深夜特急(1)』

2009年12月31日 21:47:53



一年の読書をカウントした。
今年のノルマは、月10000ページ。年間12万ページ。

1月/11,423頁/40冊
2月/10,036頁/36冊
3月/ 7,603頁/28冊
4月/11,956頁/34冊
5月/11,422頁/30冊
6月/10,737頁/30冊
7月/10,881頁/31冊
8月/10,452頁/31冊
9月/11,670頁/28冊
10月/11,218頁/33冊
11月/10,291頁/35冊
12月/10,445頁/37冊

合計・・・128134ページ/393冊

3月がノルマを達成できていないけれども、トータルでは達成だ。
冊数にして、393冊。まずまずだな、という数字か。平均して月33冊。
なんとなく一日一冊という感じだ。思い返してみると、そんな感じだったかな、とも思う。
昨年は、一日一冊半くらいがノルマだった。確かにきつかった。
年間500冊という数に圧倒されながら、じたばたしながら本を読んでいた。
今年は、案外楽に達成できた。昨年の経験があったからかもしれない。
素直に読書を楽しみながら、ノルマを達成できた。

3月が少ないな。
高木ごっこの3月あたりを振り返ってみる。
3月末に上演した『詞篇・レプリカ少女譚』という舞台にかかりっきりだったんだ。
確かに心も体もかかりっきりだった。覚えている。
どんな思いで書き、どんな画を目指していたか。

さて、来年の読書ノルマはどうするか。
面白いから重さでいくか。鈴木さんはきっと面白がるだろう。
何事も経験だ。と、思うも「何kg読んだ」という感覚は確かに、ない。しっくりこない。
重さにするにしても、どんなノルマ設定が妥当か。

鈴木さんは、月に30kgとか、自分の体重とか言ってたな。

平均的な文庫本は、150gくらい
平均的な単行本で、450gくらい
新書一冊が、大体170gくらい
近代日本思想大系は、700gくらい

例えば、毎月自分の体重(58kg)とすると、文庫本なら386冊・・・無理だろ・・・
全集だとすれば、80冊・・・無理だ・・・

どんな数値が妥当だろうか。月に10kgならどうだろう。
思想大系なんかを10冊、新書を10冊、単行本を5冊、文庫を10冊で大体10kgか。
それならなんとかなりそうなノルマだ。
いや、それもきついかな。思想書10冊込みで月に35冊はきつい。
年間100kgとすればどうか。それならなんとかいけそうな気もするが・・・

とはいえ、読んだ本を一冊ずつ重さを計測していくのも面倒といえば面倒だ。
そして、それを記録することも案外に大変な作業になる気がする。
USBで接続できて、重さを計測でき且つタイトルなどの情報が入力され且つ表紙とかがスキャンされ、
そのままDBに記録していける機器があればいいのだけれども、そんなもん、ないだろう。

『シーシュポスの神話』カミュ

(257)

『革命か反抗か―カミュ=サルトル論争』佐藤朔

(174)

『深夜特急(1)』沢木耕太郎

(238)

2010年の読書ノルマはどうするか。
大人しく冊数にするか。そうすると何冊が妥当だろうか。
400冊でどうだ。一日一冊ちょっとは読む計算だ。

年間400冊。そして、副ノルマとして、手元にある全集の読破。
近代日本思想大系(残10巻)・世界の名著(残70巻)・世界思想教養全集(残24巻)
今年よりは少しきついノルマになりそうだ。

森田童子を聴いている。
くるくる回るレコードを見ている。
誰かと何かと、繋がっている事の証明を胸に抱きながら、森田童子を聴いている。
くるくるとレコードが回る。
言葉にならない不安をしっかりと抱きしめながら、森田童子を聴いている。

こんなとこにきちまった。
高い場所、か・・・。木の上、降りるに降りられない、こんなところにきちまった。
理解者が、欲しい、と森田童子を聴いている。
くるくる回る黒いレコード。
高い、こんな場所で、足を投げ出して、足をぶらぶらさせながら、聴いている。

ぼくが平和を得るためには、知ることと生きることを拒否するしかないこの状態

なんという状態。
破壊へと向かう精神が能動する。
破滅へと向かう思考が嬉々と歓喜する。

破滅のあの美しさと快楽。ぼくは、いつもそれを望んできた。
地獄の業火に焼かれるあの官能絵巻。ぼくはいつもそれを観たいと思ってきた。
ぼくは、今、何かとつながっているだろうか。
ぼくは、今、誰かとつながっているだろうか。

知ることを拒否し、生きることを拒否しなければならない平和なら、こっちから願い下げだ。

写真

空に手を伸ばしている。

空に、ただ、手を伸ばしている。

今日も、ぼくだけの言葉を呼び、その言葉に手を伸ばしている。

「ここに来い、ここに来い」

その言葉と心中だ。

「連れてってやる」