『啄木短歌に時代を読む』『一握の砂』『敗戦日記』『カーブの向う・ユープケッチャ』・『SION〜鏡雨〜』『森田童子〜マザースカイ〜』

2010年1月3日 22:26:32

もう丸一日、破壊的な苛立ちを抱え込んでいる。
朝方、平和台を歩いた。その歩いている間は、その苛立ちは治まっていた。
冷たい空気の中でぼくがあなたというぼく自身と会話を交わした、その間だけ、
この苛立ちはおさまっていた。

何もかもにイラついている。
いろんな苛立ちを抱え込んできた。
戦闘的なイラつき、逃避的なイラつき、退嬰的なイラつき、爆破的なイラつき、
いろんな苛立ちの中で、今抱え込んでいるこれは、まさに破壊的だ。
昨夜から続き続ける破壊的イラつき。

破壊、と口にすれば、バクーニンが間を置かず現れてくる。
バクーニンを拡大解釈すれば、破壊的苛立ちは同時に創造的苛立ちである、か。笑止。
当たり前か。当たり前すぎる・・・

ノイズのない、クリアな場所がほしい。
雑音の全くないシンプルな場所がほしい。



しかし、ノイズはどこにでもあり、いつでもあり、ノイズ自身にノイズたる自覚がないことが多く、
自覚がないからこそノイズであり、ノイズ自身に非を追求することは、できない。
ノイズはノイズで一生懸命に、我を張っている。
ノイズ自身の防衛であり、ノイズ自身の生命維持なんだろう。
だから、

ノイズからぼくが離れればいい。それだけだ。
だから、こうして離れる。何もかもを引っこ抜く。何もかもを引きちぎる。
雑音の素となるあれやこれやを全て、断ち切る。
もう一度繋ごうという意志をおいてけぼりにして、断ち切る。
後のことなんか知ったこっちゃ無い。

だからこうして一人で居る。
雑音の素となる微かな萌芽を、断ち切り、ここに一人になる。

クリアな声を望みながら、
シンプルな言葉を望みながら、
清新なぼくだけの言葉を抱きしめながら、

何もかもを断ち切る。

そして、ここで、ぼくだけの言葉と共に歌にいる。

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ずっとそうだった。
そうしてきた。我がまま身勝手利己的恣意放埓。
いろんな言われ方をし、いろんな目を浴びせられてきたけれども、そうだった。

知ったことか。
ただ、今日の朝の平和台を歩いた間だけは、世界と繋がっていた。

初夢を見た。
毎年欠かさず見ている。
今年の初夢は、海上だった。
小さな伝馬船の上だ。荒れた海。風が強い。遠くに陸地が見える。
ぼくは、死体を乗せて、その陸地に向かっていた。
うまく漕げない。波が高すぎる。転覆の怖れよりも疲労の怖れが強く襲ってくる。
雨だか波だかわからないけれども、ぼくはびしょ濡れだ。
横たわっている死体を濡らしてはいけないと、強く思っていた。

何故、死体をのせていたのか。
その死体は、何者か。そんな事ごとが同時進行的に物語られる。
ぼくはただ、死体をのせて、遠い陸地に向かって漕いでいた。
死体は、これ以上はないという極上の笑顔を残していた。
微笑んだままの死体に、ぼくも微笑んだ。

この死体こそが、ぼくの言葉かもしれないな、そんなことを思いながら、
疲労の極値を味わいながら、陸地を目指した。そんな初夢を見た。

『啄木短歌に時代を読む』近藤典彦
『一握の砂』石川啄木
『敗戦日記』高見順
『カーブの向う・ユープケッチャ』安部公房

確かにいつもよりは自由になる時間があるようだ。
正月明けそうそうには締め切りがやってくる。その準備をしようと思うも、
破壊的苛立ちが建設的な仕事の邪魔をする。

時間が途切れるたびに本を開いた。
啄木を読み漁り、声に出して読み続け、啄木の人生を追った。26歳の生涯。
そうか、今年は43歳になるのか。
なんだか、長く生きてるな。なんだか生き過ぎてるんじゃないかな。

高見順のクリアな言葉が少しずつ食欲を蘇らせ、
安部公房の清新な論理が、恥ずかしくも食物を口に運ばせる。

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お気に入りの作務衣を着込み、熱いコーヒーと冷たいサイダーを交互に飲み、
合わない枕を投げ捨て、そうだ、お菓子を食べよう、と手元を漁る。
苛立ちが治まったわけではない。
初夢はクリアに在り続け、微笑みの死体とともに渡る海に現在の心象を映し、
煙草に火をつけたら、夜が笑った。