『デカルト』【世界の名著22】

2010年1月4日 23:38:40

写真

本を読んでいる。脚本を書いている。舞台美術を作っている。
全て言葉だ。何もかもが言葉だ。世界が言葉で構成されている。その事実を見せ付けられている。
脚本を書きながら、言葉の言葉たる所以を知り、
本を読みながら、言葉の言葉たる理由を知り、
舞台美術を作りながら、言葉の言葉たる力学を知り、

脚本を書いている。
見えている画を分解解釈しながら、それらを丁寧に言語化していく。
けれども、見えている画に正確を期そうとすればするほど言語は、果てしない迷宮を彷徨う。

そりゃそうだ。見えている画は、立体どころか、自由に動き回る立像だ。
その一面を書いたと思うと、そいつはくるりと背を向け、「ほら背中を書け」と迫る。
前面と同じだけの文量を費やし背面を書いたかと思うと画は、ニヤリと笑い、
「この笑顔はどうだ。ほら書け」と迫り来る。笑顔を書き終えると、
画は、両手を見せる。「この手の壮大はどうだ。さあ書け」と。

たった一枚の画を書くために、360度全方向を書くしか、正確に近付く道は無い。
だが果たしてここまで精緻に書く必要があるだろうか、という問いも立つ。
精緻に書いたから優れているものでもない。そりゃそうだ。たくさん書いたから偉いものでもない。
できるならば、数語で書ききりたい。数文字で書きうるならばそうしたい。

でも、どこからか要請される。全てを書け、と。完全に書け、と。

たった数分の場面のために原稿用紙を何十枚も費やす。
仕方ない、そうしたい要請があるのだから、仕方ない。そう、仕方ない。
こんなところに来ちまった。
まったく、こんなところに来ちまった。

『デカルト』【世界の名著22】

たくさん見せたくなるのは自信がないときだ。そりゃそうだ。
たくさん書きたくなるのは自信がないときだ。それも正解。今、確かにたくさん書いている。
でも、たくさん書きたいわけじゃ全然ない。
書きたくもないのに書いている。めちゃくちゃだ。脚本じゃないな、と思いながら、たくさん書いている。
自信がないから? そうじゃない。自信満々だ。

そうだ、いいんだ。ぼくが今こうしてめちゃくちゃを書いているのは、演劇なんだ。

脚本を書く、と対外的には言うし、ここでもそう表記している。
けれども正確には、脚本を書くことなんか随分前にやめているんだ。
劇団再生で、ぼくはこうしてめちゃくちゃな演劇を書いている。

30年近くも演劇に関わってきた。その時間が長いか短いかは知らないし、分からない。
誰かのサンプルになることもないだろうし、自分のサンプルにもならない。
ただ、それだけの時間を演劇とともに過ごしてきた。
その時間の中の多くを脚本を書くことに費やし、
脚本を書くことと同じくらいの時間を作曲や音響に費やし、
たくさんの人と出会い、たくさんの劇場と出会い、たくさんの作品と出会い、
たくさんの観念や生活や言葉と出会い、たくさんのただの記憶になった。

表象されることのないただの記憶が積み重なった。

ぼくの思い出は、明日だ。
明日が、ぼくの思い出だ。

そう思いながら、脚本を書いてきた。ずっとそう信じて書いてきた。
明日なんかない。明日なんかない。そして明日がぼくの思い出だ。

「デカルト」を読んだ。「方法序説」は読んだことがあった。
それ以外のデカルトに関する事ごとは、デカルトを書いた様々な人々のたくさんの書物から知った。
デカルトは、シンプルだけど深間にはまるとこれほどの迷宮はないな、と思っていた。
けれどもこうしてデカルト自身を読んでみると、わかりやすい。
全集を読んでいくとよくわかる。
解説書や入門書を読むよりは、最初から原典に当たったほうがいい。

デカルトを読んであらためてそう思った。
できるならやっぱり原語で読んで見たいと思う。それはドストエフスキーもそうだし、
ニーチェもそうだ。キェルケゴールもそうだ。ヘーゲルなんかとくにそうだ。
日本語しか理解の網を持たない自分には、それら他の言語の理解とは深い溝があるんだろう。
悔しい、と感じる。

ドイツ語もラテン語もギリシャ語も英語もロシア語も何もかも理解できるようになりたい。

あとどれだけの時間がここに残されているのかわからないけれど、
日本語しか解しない自分は、こつこつと日本語で脚本を書いている。
日本語で書かれた本を読んでいる。日本語を不自由ながらもしゃべっている。

部屋が本に埋まっていく。
本が好きです。読書が好きです。本ばかり読んでいます。
と公言憚らないからなのか、本を頂くことが多い。
今日も、鈴木邦男さんから何十冊もの本を頂いた。
とりあえず、積み上げていく。読んでない本は、まず積む。
読んだ本は、段ボールに入れて整理していく。ベッドの下は全部本だ。
ベッドの片側は全部本だ。ベッドの枕元あたりは全部本だ。

未読で積まれた本は、見た感じ300冊くらいだろうか。

ここにある何百冊何千冊の本の全てが言葉で書かれている。
この小さな部屋の中にどれだけの言葉が潜んでいるのだろうか。
その静かな言葉の潜伏に恐怖を覚える。

ただ恐怖を覚える。恐怖を感じながら、本に手を伸ばす。
日本語と限定された自身の能力の中に万年筆を握る。

『デカルト』【世界の名著22】

責任編集/野田又夫

「デカルトの生涯と思想」野田又夫

・世界論
・方法序説
・省察
・哲学の原理
・情念論
・書簡集

年譜
索引