『大日本「健康」帝国』『強欲資本主義 ウォール街の自爆』『火の起源』『水晶の夜、タカラヅカ』『日本の神様 (よりみちパン!セ)』『体の中の美術館』『雪のベルリン タカラヅカ』

2010年1月9日 22:46:10




頂いたりした本の山を崩していく。
手当たり次第に崩していく。積んである本の上から順に読んでいく。
読みたい本だの興味がない本だの、そんなことお構い無しに読んでいく。
新書が手に当たることもあり、戯曲だったり、ノンフィクションだったり、科学書だったり、
本なら何でもいいと、読んでいく。

さすがに新書は読みやすい。やっぱり1時間くらいで読めてしまう。
戯曲もそうだ。脚本を書いているからなのか、読みやすい。
ここ数日で7冊読んだ。積んである本の山を上から順に読んだ。
そして、並行して思想書全集を読み進め、脚本を書いたり、

ここに言葉が溢れ。

『大日本「健康」帝国』林信吾
『強欲資本主義 ウォール街の自爆』神谷秀樹
『火の起源』坂手洋二
『水晶の夜、タカラヅカ』岩淵達治
『日本の神様 (よりみちパン!セ)』畑中章宏
『体の中の美術館』布施英利
『雪のベルリン タカラヅカ』岩淵達治

「健康」に関する本なんて、自分じゃ絶対手に取らないな、と思いながら読んだ。
なるほど、とそりゃまあ思うこともあり、
ウォール街の話なんてのも、自ら手にしたりはしない。
だからそりゃまあ、知らないことばかり。知らないことを読むのはやっぱり楽しい。
あの有名な「水晶の夜」と「宝塚歌劇団」の関係。これも全然知らなかった。
ひところ、見沢さんが遺した本の中の「ナチズム」を読み漁っていて、
そんな本の中に「宝塚歌劇団」のことなんて一行も出ていない。

と、知らないことを知っていく喜びは何ものにも換えがたい。

毎日毎日本を読みながら、
毎日毎日脚本を書きながら、

なんで全部言葉なんだ! と逆ギレに近い感覚を覚える。
言葉、ふざけんな! と舌打ちしてみる。
それにしてもだ、

今書いているこの脚本に終わりが、無い。
その感覚に最初は戸惑ったけれども、今は、笑っちゃう。
おいおい、終わりがどこにもないぞ、と。

終わり、というのは、物語の終わりのことではなく、
そして、思想性やテーマの完結のことでもない。
あくまでもこの一篇の脚本の終わりのことで、じゃあその脚本は破綻してるか、と聞かれれば、

或いはそうかもしれません、と答えるしかない。

ただ、ぼくが今書いているのは、脚本ではなく、演劇だ。
という精緻な立脚点に立てば、一篇の脚本に終わりが無くても、この演劇には終わりはある。

だからと言ってそれでいいのか、という問いもたつ。
こんなことが初めてだから、ただ、初めてだというだけの話かもしれない。
なにはともあれ、終わりが無くても書き進めている。

本を読みながら、脚本を書きながら、零れ散かる言葉を踏みしだきながら、夜、一人。