『大正思想集』【近代日本思想大系34】『麻雀放浪記(二)風雲編』『ドサ健ばくち地獄』『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝 ゴールドラッシュ』

2010年2月6日 23:32:15

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世界と対峙している。
そりゃそうだ。もう何十年もそうだった。
18歳の頃も、25歳の頃も、32歳の頃も、40歳の頃も、今も、世界と対峙している。
ただ、これまでとは、もちろん違う世界だ。
世界は変化し続けている。

「人は変わらない」ということを散々言われてきた。
「人は変わる」とも散々と言われてきた。

それは、それを言う人がぼくに対して、「変われ」「変わらない」と
軽い要求や軽い諦めを提示していただけだ。
そんなことをふと、思い出した。

世界と対峙している。
今対峙している目の前の世界を語ることは簡単だ。
大きさは、ぼくとほぼ同じだ。ただ質量が違いすぎる。ぼくの何億倍も無限倍もありそうだ。
その世界は、真っ暗だ。なるほど、これが「真っ暗」か、と初めて知った真っ暗だ。
「真っ暗」としか言葉がないけれども、
感じ方は、「真っ暗」どころじゃない。「おっ! これが『無』という色か」と。
ブラックホールという感覚が連想されるかもしれない。
でも、どうも違うようだ。
ブラックホールを見たわけじゃないし、彼と語り合ったわけではないから
本当には分からないけれども、ブラックホールと決定的に違うと感じられることは、
今の目の前の世界には、言葉がある。
ブラックホールという奴に、言葉が存在するだろうか。

巨大な質量、『無』色の暗黒、言葉の渦。

そして、それらが日常としてにこやかに存在している。
そんな世界だ。という、対峙している世界の説明は、もちろん演劇というベースにおいてだ。

『大正思想集』【近代日本思想大系34】
『麻雀放浪記(二)風雲編』阿佐田哲也
『ドサ健ばくち地獄』阿佐田哲也
『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝 ゴールドラッシュ』阿佐田哲也

夢の中で、ある殺害をした。
殺害者は、ぼくだ。ぼくが、確かに手をかけた。
被殺害者は、ぼくのよく知っている人だ。
その人物の首を絞めた。ゆっくりと体重をかけて、首を絞めた。
そのときの自分の顔がなぜか、見えていた。
殺害中のぼくの顔は、見たこともない満足と予感を表情していた。

殺害されていく中でその人もまた、
満足と喜悦を表情していた。
ぼくは、世界と対峙している。演劇に立脚しながら世界と対峙している。
そして、演劇というベースを離れても、何も変わらない自分を知っていく。

何も変わらない。
なるほど、18歳の時に不安と恐怖に怯えて対峙していた世界の最後の形がこれか。
あんなに巨大だった世界は、

なんだ、ぼくとおんなじ大きさじゃないか。
それにしても、その質量はなんということだ。
何を喰ったらそんなに質量を保存できるんだ。

ぼくの夢の中での一つの殺害は、何かの予兆かもしれない。
そんな夢だった。

『大正思想集』【近代日本思想大系34】


編集・解説/鹿野政直

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解説/鹿野政直

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