鈴木邦男という質量・・・『その膨大な書籍と読書子の真夜中』そしてぼくは、ぼくだけの言葉を叫ぶ

2010年3月7日 00:13:52



むきになって本を読んでいる。
なんだ、また真夜中か。時計がてっぺんあたりでうろうろしている。
知ったことか。一冊の本が届いた。仕事の本だ。今夜中に読まないと仕事も進まない。
2時間あれば読めそうか。よし、

と、これからの予定を立ててみる。
風呂に入ろう。目を覚まそう。体をあっためよう。
体に聞いてみる。これから二十数時間無理をさせるが大丈夫かい?

少し腹にいれた。薬も飲んだ。目の前には一冊の本。
大丈夫だ。と、体が答える。

本ばかり読んでいる。
こんなに体にむちをいれるようになったのは、鈴木邦男さんの影響が多分にある。
「プロジェクト鈴木邦男」だ。あの「全集読み」だ。
本気になったのは、「読書対談」あたりからだろう。

時計はてっぺんをまわった。
ここを過ぎると時計の針は明け方まで一気に落ちていく。経験則だ。

真夜中か、鈴木さんも今、本を読んでいるだろう。
あの机に座り、読んでは原稿を書いているだろう。

そうだ、鈴木さんに渡す資料の詰めが残っている。
劇団員田中惠子に手伝ってもらい一次原稿までは出来た。
さあ、ここからだ。ここからは読書をし続けてきた者の仕事だ。
読書経験の知識と勘働きがこの資料を世に出せるものに仕上げてくれるはずだ。
時間はかかるだろう。
これから何十時間もの時間がかかるだろう。

ミネルヴァの梟か、

なるほど。

ようやくその真意を体感できるようになってきた。
ぼくは、言葉を扱い、言葉とともに生活してきた。

ぼくは、言葉の力に気付いた。
こんな真夜中にぼくは、呟く。ぼくだけの言葉を呪文のように何度も何度も呟く。

ぼくだけの言葉。

その呟きは、距離を超え、時間を超え、道徳を超え、常識を超え、世間を超え、
届く。届く。

ぼくだけの言葉。

圧倒的な力を維持したまま、届く。
(キチガイ)

そんな声が返ってくる。
いいだろう。ぼくは、ぼくだけの言葉のためなら、発狂しよう。狂い死にしよう。
けれども、憶えておけ。そのときには、

ぼくだけの言葉、お前も道連れだ。

真夜中か。なるほど。
こんな真夜中は、何度も知ってる。だから、もう一度言う。

ぼくだけの言葉、お前も道連れだ。

真夜中か、本を読むか。
読んで、原稿を書こう。

真夜中か、鈴木さんも今頃は本を読んでいるだろう。