なるほど8月15日か、とはいえぼくはぼくの仕事が何かを知っている。そういや自分の仕事が何なのかわかってないのが多すぎる。そんなのばかりだ。せめて、せめて、せめて、ぼくに関わるこの身近にはいてくれるな、と、それは祈るしかない。

2010年8月16日 00:01:15

写真

若松監督の「キャタピラー」を観たり、
汗だくになり新宿を歩いたり、
靖国神社におまいりしたり、
年に一度の彼等の晴れ舞台を見たり、
本を読んだり、資料を読んだり、
送稿したり、
メイクテストをしたり、
明日からの準備に奔走したり、
なんだかんだと日が暮れて、なんだかんだといつもの真夜中。

帰宅するとコトバが日の丸の前でじっとしていた。
偶然だ。今日が8月15日だから、ということは絶対にない。
コトバさん、コトバさん、ちょっと遊ぶか、と
手を出すと、
めんどくさそうに手に乗ってきた。

よしよし、ちょっと話しでもするかい。
話を聞いてくれ。
次の次の次の次の次の舞台の話なんだ。
いいかい、物語はな、と話し始める。
一分もしないうちにコトバは飛んでいった。

なんだよ、もうちょっと聞いてくれ。
お前がそのつもりなら、掃除機をかけるぞ。
と、掃除機を持ち出す。

コトバは、掃除機が大嫌い。
掃除機を見ただけで体を細くし、怯える。
スイッチを入れると、
きゃきゃきゃきゃ、と悲鳴をあげて逃げ惑う。

ぼくはぼくの仕事を知っている。
仕事を完遂するために犠牲にせねばならないこともよく分かっている。
そうしてきたから、
こんなところにいるんだ。

甘えた奴が大嫌いだ。
心底軽蔑する。口をきくのもいやだ。それは誰でもそうだろう。
誰でもそうなのにも関わらず、何故か多い。

せめて、ぼくに関わるこのエリアにはそんなやつはいてくれるな、
と思う。祈る。このエリアにいるだけで、仕事にならなくなる。
ぼくの仕事はこれから仕上げの季節だ。
仕上げにはまた長い時間がかかるのだろう。

永遠に仕上がらないかもしれない。
けれども、仕上げの季節に入ったことは察している。
その仕上げに、ぬるい奴が入ってくるとなんにも出来ない。
そうだ。
ぼくは、これからそれらを徹底的に排除するだろう。
もちろん、ぼくの仕事を守るためだ。
ぼくの画を守るためだ。

そんな防衛に力を使いたくはない。
だから、祈る。

爆発しようとしている。
感じる。感じていることは信じる。無条件に信じる。
なるほど、孤立か。そりゃそうだ。
論理的に孤立するしか、ぼくの仕事が完成することはない。

ちょうどいい。
今日も真夜中じゃないか。

一人か。
理解者がほしい、と長い間思い続け、
理解者の論理的存在を一人で証明し自分を慰めてきた。
それでいいと思ってきた。

それでも、
それでも、
それでも、

帰る場所は欲しい。
それがたとえ、一つの仕事であったとしても。

自分の仕事が何かを語り、
その場所に身を置きながら、
形而下の事ごとに呆れるほど安易に流され、
安逸な選択を下すあんたら。
ぼくはそれを甘えだと呼ぶ。甘えた奴だと軽蔑する。

どこまで身を投げ出し、
その身の定位を論理的且つ寂しさを持って認識できるか。

ぼくは、空虚な饒舌に失望する。失望と同時に怒る。
もちろん、バカらしく、疲労するので、怒りをその面に表すことはほどんどない。

ソクラテスは、欲望は欠如に発するものだと、アガトンを相手に証明した。

その通りだ。
あんたらの仕事は、欲望じゃないのか。
その欲望は、あんたらの何かの欠如がもたらすのではないか。
ならば、その欲望の充足はまさにあんたら自身から発するのではないか。
それがわかっているか。

無思考ゆえのわがままをやっぱりぼくは失望する。

夜の目醒めは無名である、とはレヴィナスだ。
彼は続ける。
不眠のうちには、夜に対する私の警戒があるのではなく、
目醒めているのは夜自身なのだ。

なるほど、真夜中だ。
完全な戦闘態勢に入っている自分がいる。
完全な、だ。全てを犠牲に出来る戦闘だ。
無駄口をきくな。無思考な言を吐くな。うるさい。
ノイズを連れて来るな。
せめて、せめて、せめて、このエリアには。

ぼくは、まだ失望を続けるのだろうか。
仕事が仕上げに入っていくというのに、
感情があちこち寄り道している場合じゃないというのに。

真夜中か。
戦闘態勢を解きはしない。
明日もあさっても臨戦態勢。
武装解除の予定は、ない。

知ったことか。
ぼくは、この高い場所で標的を捉えている。
この長距離を狙えるライフル銃で確実に捉えている。

この高い場所からしかその標的はきっと見えないはずだ。
そんな標的を見たくて、ここに上ってきたんだ。