『哲学用語に強くなる本』『哲学用語入門』『皇帝のかぎ煙草入れ』『火刑法廷』『トマス・アクィナス 『神学大全』』『トマス・アクィナス』

2011年3月25日 21:47:34



この二週間で二本の脚本を書いた。
そして、一本の脚本の手入れをした。
今、また次の脚本に取り掛かっている。
とはいえ、まだ、タイトルも書いていない。
書き始める前の下準備。プロットを作り、全体像を描き出す。
見えている画をそのまま書いて行けばいいのだけど、実務としてはなかなかそうはいかない。

形にするためには、やっぱりそれなりの道具と方法がある。

画は、ある。
道具も揃っている。
方法も見えている。

ここから先は、一歩ずつ詰めていくしかない。
締め切りのある脚本だ。上演の約束のある脚本だ。

先日書き上げた二本の脚本は、締め切りも上演の約束もなかった。
一切の制限がなかった。そこにあったのは、書きたい、という思いだけだった。
こんな舞台を見たい、こんな舞台を創りたい、という純粋な天性だった。
制限が一切ない脚本を書いたのは、初めてかもしれない。
これまで何十本も脚本を書いてきたけれども、そのどれもこれもが制限だった。

上演する劇場が決まっていた。
演出家が決まっていた。
出演する俳優も大体決まっていた。
上演の日時も執筆の締め切りもあった。

それはそれで一つの仕事として充実して書いてきた。

昨年ペンを入れて、途中になっている脚本がある。
自分の好きな題材だ。だから資料を探し、集め、読み込み、書き始めてみた。
書き始めてみたら、あまりの濃度に自家中毒を起こした。
そして、そのままペンを置いている。
その脚本も今なら再開できるかもしれない。

書き残しておこうと思う。

書けるだけは書いておこうと思う。先日書き上げた二本も、いつの日か、いつの日か、
誰かが舞台に上げてくれるかもしれない。
その脚本を上演したい、という俳優が現れるかもしれない。

自由を一つ、手に入れた、そんな気分だ。
ずっと長い期間託っていた暗闇の退屈は、やはり書くという跳躍でしか越えられなかった。
あの暗闇の退屈の先にあったのは、一つの自由だった。

この自由の中で、書き残しておこうと、思う。

『哲学用語に強くなる本』御厨良一
『哲学用語入門』高間直道
『皇帝のかぎ煙草入れ』ディクスン・カー
『火刑法廷』ジョン・ディクスン・カー
『トマス・アクィナス 『神学大全』』稲垣良典
『トマス・アクィナス』稲垣良典