『北一輝』『北一輝論』

2011年4月9日 00:38:46



研究者、という訳ではないけれども、北一輝に取り組み続けている。
みすず書房の『北一輝著作集』三巻を原典に据え、いろいろな識者の論を読み続ける。
以前読んだものを読み返し、自分の考えと照らし合わせていく。
北一輝という思想は、あまりに難解だ。あまりに巨大だ。だが、
何故難解なんだろう。何故巨大なのだろう。その疑問点が取り組む原動力になっている。
きっと、一点、小さな理解点に辿り着けば、そこに気付けば、北一輝という思想は、氷解するはずだ。
その感触は、確かにある。その予感は、確かにある。けれども、その一点になかなか辿り着かない。
読み方を間違えているはずはない。思考のトレースもおかしな感触はない。
人生や経験のトレース、という点においては、共通的な理解があってもいいはずだ。
海辺の小さな町で育ち、そこそこ裕福で街でも名望家の過程に育ち、学業も悪くなく、
男の兄弟がいて、東京に憧れ、力を試すために若気の至り的な行動を起こし、と、
自分と似ていなくもない半生だ。そこの読み方を誤るとは思えない。感情の移入さえ可能だ。
だが、遠い。遠すぎる。北一輝が遠すぎる。他者を排除する思想なのだろうか。
カントの方がよほど楽だ。ハイデガーを理解する方がよほど簡単だ。
北一輝、か、と声に出してみる。どう考えたらいいのか。どう取り組めばいいのか。
『国体論及び純正社会主義』『支那革命外史』『日本改造法案』『自殺と暗殺』・・・
それらが他者を排除する姿勢で書かれたとはとても思えない。そうだとするなら、書く意味がない。
行き詰った時は、原典に当たるのが一番だ、と、旧仮名遣いの大物原典をひいていく。
文体、リズム、息遣い、言葉の選択、形容語の豊かさ、怒りと愛、そんなものを確かに感じる。
『支那革命外史』なんて特にだ。あちこちにちりばめられた、文語的アジテーション。
北一輝がどんな話し方をしたかは知らないけれど、彼の声が聞こえてくる。

北一輝、という思想。
ぼくは、彼の罠にはまり込んでいるのかもしれない。
国体論批判、天皇機関説、進歩的社会主義、類神人、共生、そして、革命。
もしかしたら、それらのキーワードは全てギミックで、真の思想は、彼の人生に隠されているのかもしれない。
例えば、銃殺される瞬間の彼の表情に。

『北一輝』渡辺京二
『北一輝論』松本健一

4月8日か。

何十年も前にヴィヴィアン・ウェスト・ウッドが生まれ、 黒川紀章が生まれ、 藤山一郎が生まれ、フッサールが生まれ、ぼくの父が生まれ、ピカソが死に、高浜虚子が死に、メディチが死んだ。そして明日は、4月9日。明日と言う日も誰かが生まれ来て、誰かが死んでいき、その次の日も、誰かが生まれ来て、誰かが死んでいき、それは、ぼく自身かもしれないし、見ず知らずの他人かもしれない、また身近な誰かかもしれないし、生まれ来るものは未来の世界を指導するものかもしれないし、預言を与える言葉かもしれないし、或いはただ生まれただ死んでいく永遠の他人かもしれない。

明日、見沢さんの墓参りに行こう。
雨予報だ。明日は、降るか。もう5年も毎月お参りし、一度も降られたことはなかったが、
ついに、雨が降るかもしれない。雨が降ったら、見沢さんに伝えることがあるんだ。
それが、明日かもしれない。明日、予報通り降ったら、見沢さん、

ぼくが以前に決めた一つの宣言を、話しますよ。

見沢さんも北一輝を追っていた。
でも、追い切れなかった。追いつけなかった。見沢さんの理解の埒外に存在し続けた北一輝。
見沢さんの北一輝理解は、小説に反映されなかった。反映のしようがなかったんだろう。
そりゃそうだ。北一輝という思想の中から、おいしいエッセンスだけを抽出しようなんて、
無理な話だ。原典から数行をひくことはできるだろう。でも、一つの作品に昇華させることは困難だ。

見沢さんもそのことがわかっていた。
わかっていたから、引用もしなかった。
反映もしなかった。
書きたかったはずだろうけど、書けなかった。
それが、手に取るようにわかる。

見沢さん、先に行きますよ。ぼくは、あと少しで北一輝理解における躓きの石を蹴飛ばすことができます。
それは、自信や確信ではなく、豊かな予感なんですよ。豊かな、予感が、今、あるんです。

見沢さん、明日、会いましょう。