『アラン・ヴァレリー』【世界の名著続12】

2011年4月13日 22:22:51

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所有する本をデータベースに入力している。
本の保管は、段ボール箱だ。本棚はその景色が好きだけれども、本が多すぎて管理できない。
本棚を置く場所もない。ヴィクトリカが普段過ごす塔のような図書館があればいいが、
荒唐無稽すぎる話だ。そんなこんなで昔から本は段ボール箱に保管している。
年に一度くらいの頻度で、順に虫干しをしているので本が酷く傷む、ということはないようだ。

段ボール箱に保管していると必要な本がどこにあるのかすぐにはわからない。
だから、データベースだ。入力しておくと、検索画面でタイトルやキーワードをいれると、
どの段ボールにあるのか、すぐにわかる。便利だ。少しずつその入力を進めている。

とはいえ、入力をしていると、「あっ、これはもう一度読もう」と思う本がたくさんある。
そんな本は、入力を後回しにして、机の横に積んでいく。
そんな本が、200冊ばかりになり、机の横は何列も本の塔が出来上がっている。

『アラン・ヴァレリー』【世界の名著続12】

ここ最近ずっと北一輝を読んでいた。みすず書房の「北一輝著作集」全三巻を中心に、
代表的な評論や関連書籍を十数冊、読みこんだ。ノートを取りながら読んだ。
北一輝研究家でもなんでもないが、なぜか、知りたかった。わかりたかった。

けれども、どれほど読み込んでも、「魔王の森」の迷宮は、明るくない。
一歩先の足元がようやく見える、という程度だ。理解の先がどんな距離の向こうにあるのか、
そこに至るまで一本道なのか、それとも、分かれ道が用意されているのか、
それすら、わからない。ようやく、ようやく、次の一歩が見えた。

その次の一歩の足元。それは、北一輝解釈をどんなアプローチで進めるか、
それをようやく見つけた、ということだ。アプローチは全方向的に可能だ。
それは、どんな人物でもどんな事物でもどんな歴史でもそうだ。その全方向的な無限から、
自分の天性に従ったアプローチ方法を模索する。一番効率的なやり方だろう。
今回もその方法を採った。

アプローチ法を決定するために読み込んだ十数冊に数か月。

なるほど、ぼくは、ぼくの仕事に関係する方法しか、思考をこの天性に持たない、と思った。

『アラン・ヴァレリー』【世界の名著続12】


責任編集/桑原武夫・河盛好蔵

アラン


「芸術論集」桑原武夫 訳
「文学論集」杉本秀太郎 訳

ヴァレリー


「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法」山田九朗 訳
「精神の危機」杉捷夫 訳
「エウパリノス」水野亮 訳
「詩学序説」河盛好蔵 訳