『ホイジンガ』【世界の名著55】・『日本の警察』『日本の警察解体新書』『マイ・バック・ページ』『CIAスパイ研修』

2011年5月4日 21:14:46

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寺山修司さんの命日。
毎年、静かに、祈る。渋谷ジァンジァンがあった頃は毎年、昭和さんの公演についていた。
その劇場がなくなってもう十数年。渋谷へ足を伸ばすことも少なくなった。
友人のライブに行くか、美術館に行くか、そのくらいしか渋谷に用事がなくなった。
寺山さんがなくなってもう27年か。寺山さんに憧れた。あの言葉に憧れた。
あんな言葉をわがものにしたかった。寺山さんを読んだ。全部読んだ。
寺山さんの舞台に関わった。音楽を作った。音響で寺山さんの言葉に触れていた。
ただ、演出だけはしたことがない。寺山さんの作品を上演しないか、という言葉はこれまで
何度もいただいた。何度も声がかかった。本気で検討したこともある。
でも、できなかった。今でもそうだ。寺山さんの言葉を上演する、ということは、
ぼくにとって、一つの敗北なんだ。勝ち負け、勝負、という二元論における「敗北」ではない。
そも演劇に勝ち負けと言う概念は存在しない。けれども、「敗北」というしかない。
ぼくにとっての氏の言葉は、所詮言葉であるにも関わらず、なぜか言葉以上だった。
寺山修司の何もかもを読んできた。自分なりに解釈をしたりもした。
それについてなにがしかの文章を認めたりもした。

(寺山修司をぼくが上演する?)

そりゃ無理だ。無理ってもんだ。方法論や表現論や具体的な些末事はさておき、
その「出来事」という現象に対してぼくは、「敗北」せねばならない。
いつか、いつか、いつか、と思うこともある。でもまだ、無理だ。とてもじゃないが、無理だ。
あの言葉を前にしたら、ぼくはひれ伏すことしかできない。
とはいえ、「負けた」訳では決してない。確かに低く頭を垂れている。
それは、しかし、常に、戦闘だ。常に勝負を挑んでいる。あの言葉に対して、ぼくは、

ぼくの「勝利」が欲しい。そう思い続けている。

寺山さんの命日。静かに、一日を過ごす。
本を読みながら、原稿を書きながら、静かに一日を過ごす。着物に風を通しながら、本を読む。
明日からの仕事のための下準備的に関係各位にメールしたり、下調べをしたり、
移動のための手段や時間を調べたり、小さな雑事を片づけながら、本を読む。

『ホイジンガ』【世界の名著55】
『日本の警察』西尾漠
『日本の警察解体新書』日本警察組織研究会
『マイ・バック・ページ』川本三郎
『CIAスパイ研修』野田敬生

首こりが酷い。肩こりよりも明らかに首のこりだ。
んー、どうにかならんかな。

『ホイジンガ』【世界の名著55】


責任編集/堀米庸三

ホイジンガ


「中世の秋」堀越孝一 訳