『夜の来訪者』『錯覚の科学』『音楽で人は輝く』

2011年5月12日 00:49:29



いかん。まずい。やばい。忙しすぎる。
5月がこんなことになるなんて思いもしなかった。
年初のざっくりした予定では、5月はゴールデンウィークから、
じっくりと脚本を書き始め、腰を落ち着けて書いていく予定だった。
何でこんなに忙しいのか、どうしてこうなったのか・・・んー・・・わからん。
もちろん仕事を受けなければ忙しくはならない。けれども、そうもいかん。
断れるわけがない。作曲や演奏にしても、声をかけていただくのはありがたい。
対談にしても編集にしてもそうだ。断れるわけがない。それに、新規の仕事も、だ。
自ら営業に回って二年がかりで決まった仕事もある。とはいえ、予定を調整するだけで、

恐怖を覚える。
確かに、これまでにもこんな予定をこなした経験は、ある。
その時にも恐怖に押し潰されそうだった。過ぎてしまえば、忙しさも忘れるが、渦中の

恐怖ときたら、ない・・・

いろんな仕事を人に振れればいいのだけれども、例えば、対談を誰かに、という訳にはいかない。
演奏や録音を誰かに、という訳にもいかない。打ち合わせを誰か代わりに、という訳にも。
多分、24時間、起きていられて、仕事をし続けられるなら、案外楽にこなせるのかもしれない。
でも、経験上、そうはいかない。何度かチャレンジしたこともあるが、徹夜は、だめだ。
効率を悪くし、仕事の質も低下させる。睡眠はちゃんととるべきなのだが・・・
そうもいかないんだよなあ、と

だから忙しいのか。

『夜の来訪者』プリーストリー
『錯覚の科学』クリストファー・チャブリス
『音楽で人は輝く』樋口裕一

予定された事項がある。約束の日もある。そのために時間を使う。
忙しいのは、その時間が足らないという状況、或いは、足らないかもしれないという状況。
ならば、時間がたっぷりあれば、忙しくはない。だから24時間を起きていられれば、だ。
でも、経験上そうはいかなかった。ならば、どうする。時間そのものを増やすことはできない。
なぜできないか、という問いはさておき、時間は増えない、と経験上、仮定する。
一日が24時間だ。それ以上は、ない、とする。その決められた時間の中で多くの時間を獲得するには、

何かを減少させるしかない。
それは、睡眠時間とか、読書の時間とか、食事の時間とか、或いは仕事そのものにかかる時間とか。
なんにせよ、一方の時間の減少が、一方の時間を増大させる。
それを決めるのは、誰においても、自分自身。ということは、優先順位的な思考をすればいいのか、
とも思うが、それがそうもいかないんだよなあ。相手があることもある。

なんてことを思ったり考えたりする時間も、惜しい。けれども、これもまた必要な時間。
忙しい時期には、後から後からどんどん仕事がかぶさってくる、というのも経験上のこと。
そして、今まさにその状態。まさに今日、その状態。連絡の集中。決定の集中。
机が付箋だらけになる。これらのメモ的付箋が一枚、また一枚と剥がされていくのは、楽しい。

とはいえ、眠りたい。ゆっくり眠りたい。
ゆっくり映画が見たい。劇場で、と贅沢は言わない。自宅でいい。一本の映画を観たい。
あと一か月だ。一か月で何もかも終わらせる。何もかもクリアする。
そしたら、画を観に行くんだ。大好きな画を観に行くんだ。

そこに行かなければ観ることができない。という、美術館システムは、やっぱり正しい。
そこに行くんだ。何もかもをクリアして、そこに行くんだ。会いに行くんだ。