『ゴータマ・ブッダ』【人類の知的遺産3】・『せどり男爵数奇譚』『白戸修の事件簿』『宇宙で最初の星はどうやって生まれたのか』『スパイス、爆薬、医薬品―世界史を変えた17の化学物質』

2012年2月7日 00:30:54

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どうも戦闘的だ。
稽古に入る前っていうのは、大体いつもこんなギアが入るのだけど、
今回は特に戦闘的だ。ぼく以外の外部に向かって吼えたくて仕方ない。
吼えたければ吼えればいいし、
牙を剥きたければ剥けばいいのだが、
吼える相手と言うのがどうにも捉え難い。もちろん、しっかりとそれを捉えてはいるのだが・・・
なんというか、巨大だし、ぼんやりしてるし、ぶよぶよしてるし、半透明だし、
ぼくの叫びもぼくの牙もぼくの爪も、どうも効きそうにない。
そうか、だから、みんなそんなものには目をくれず、人間という個体にまで矮小化するのか。
そりゃそうだな。人間なら戦いやすい。喧嘩もしやすい。
勝った負けたもわかりやすい。なるほど。そうすりゃいいのか。
とはいえ、だ。そんな手段をとるとすれば、体力も時間も失われ、そして、
このフィールドの住人の大半と拳を交えることになりそうだ。
それはそれで手段なんだろうなあ。論点がずれたか。

そう、そんなこんなでどうにもこうにも戦闘的だ。煽動したい、という感じなんだ。
アジりたい。街宣でもしてみるか。政治性のかけらもないアジテーション。
日蓮上人のように辻説法でもしてみるか。一人一人に語りかけ、腐敗の原因を語り合うか。

とまあ、脚本に手を入れながら、政治も国家も演劇も生活も関係も出来事も何もかも、
問題の原因は同じなんだな、と思う。原因は、いつも「不真面目」だ。
「不真面目」という語が「不真面目」ならば、言い換えてもいい。
「真面目」のレベルが低いんだな。レベルは、高い低いの、レベルだ。

ちょっとそのことに関しては、誰かと話してみたい、と思っているが、さて、
そんな面白くもなんともない話に付き合ってくれる人がどこかにいるだろうか。

そんなことを思いながら、先日、『猫』を観に行った。
箱根の成川美術館だ。いつもいろいろな企画展を行う美術館だが、『猫』だけは、
唯一、『猫』だけは、いつも、そこにかかっている。『猫』と向き合う。
『猫』は、ぼくを見ていない。『猫』が見ているのは、ぼくではない、別のものだ。
ぼくは、『猫』を観る。じっと、そこに佇み『猫』を観る。
どうして、その画が好きなのか、考えてみたが、よくわからない。
それがわかるまで観ていようと思って観ていたが、だめだった。

喫茶室で、美術館の人に話しかけられた。
前略後略だが、「ああ、高木さんですね。お待ちしてました」みたいな感じだ。
嬉しかった。その方も嬉しそうだった。花が咲いた。いろいろサービスしてもらった。
再開を約し、『猫』を後にした。そこを出てあらためて、(いい美術館だな)と思った。
全国あちこちにいろんな美術館がある。中には、ほんとにどうでもいい美術館もある。
展示物が死んでいる美術館っていうのがある。美術館本来の仕事を全うしているところは、

その佇まいが、きれいだ。美術館前に立つと、大きく、豊かに、来館者を迎えてくれる。
宣伝過剰で館の名前ばかりが先走り、収益にこだわった企画に終始し、寒々しい美術館は、
なくなればいい。そう思う。展示品には、それに相応しい館がきっとある。
そんな美術館には、どれだけ時間がかかろうが、どれだけお金がかかろうが、観に行く。

先日、『猫』を観に行った。一日潰して、『猫』に会いに行った。
戦闘的なこの存在を、肯定してくれる『猫』がいた。

『猫』が言った。「お前は間違っていない」

『ゴータマ・ブッダ』【人類の知的遺産3】
『せどり男爵数奇譚』梶山 季之
『白戸修の事件簿』大倉 崇裕
『宇宙で最初の星はどうやって生まれたのか』吉田 直紀
『スパイス、爆薬、医薬品―世界史を変えた17の化学物質』ジェイ・バーレサン