『アスペルガー症候群』『必ずわかる! 「○○(マルマル)主義』『日本赤軍派―その社会学的物語』『総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか』『監獄記―厳正独房から日本を変えようとした、獄中20年。』『マルクス経済学』『島へ免許を取りに行く』『思想としての右翼』『保守のヒント』『功利主義入門』『それをお金で買いますか 市場主義の限界』『寝ながら学べる構造主義』

2012年10月31日 21:37:10



一日一冊は本を読みます。

年間500冊くらい読みます。

と、あちこちで話したり、書いたりしていると、やっぱり読書に関する事を話題にされる。
読書や本に関しての質問をされたり、疑惑の目で見られたり、
社交辞令としてもとっつきやすいファクタなんだろうな、と思う。
それは、フクロウに関しても同じだ。

コトバがいるから、ぼくは独りを知る。

本があるから、ぼくは独りを知る。

そんなこんなでこの高木ごっこにも読書に関することを書いたりしてきた。
いろいろな人に読書や本のことを話したりする。
読書代行という変な仕事をしている。書評を連載している。読書会を主宰している。
読書論の連載もしている。読書指南も引き受けている。
と、生活の中には読書がいっぱい。

だから、という訳でもないだろうが、周りでも本を読む人が増えてきた気がする。
実は、以前は、読書を人に薦めていた。いい本を薦めていた。
でも、ある時からそれをやめた。本なんて勝手に読めばいい。
本を読む人と読まない人、それぞれがそれぞれ居るだけだ、と。

まぁそれはそれ。
本を読む人が増えているな、と感じられることは、嬉しい。
嬉しいが、不安もある。

本の読み過ぎは、必ず人を不幸にする。断言できることだ。

苦しい思いをして、嫌な思いをして、体を壊しながら、
睡眠時間を削り、ひたすらに活字を追う。
どこにもいいことなんかない。知識が多少増えたところで、人間の「思考」にはかなわない。
かなうはずがない。
それがわかっていても、「何か何か何か何か」と活字を追う。
そんな精神が、健康であるはずがない。

読書は、人を不幸にする。

とくに、読書のなんたるかを知らないずぶの素人が手を出すととんでもないことになる。
インターネットで遊んでればいい。
テレビをのんびり見たらいい。
誰かと誘い合わせ飲んだ方がいい。
たっぷりと眠って、おいしいものを食べて、嫌なことは知らずに、
興味あること追いかけ、飽きたら、また別のなにかをメディアに探し、
そんなことの方がよほど健康的だ。

だから、読書を人に薦めることはなくなった。
例外は、ある。そんな「不幸」を自ら受け入れ、孤独を知り、一人で立つことができる人、
そんな人には、徹底的な読書の大木を見せる。
判断は、もちろん、ぼくの主観だ。
読書の大木は、一度触れると気が遠くなる。初めての人はなおさらだ。

ずぶの素人にそれを見ろっても無理な話だ。そも、目の前にそれを置いても、見えないはずだ。

読書を続けながら、そんなことを思っていた。
読書は、もうやめたい。もう十分読んだ。そんな気がしている。
世界中の本を読破することなんか到底無理。無理と分かっていての挑戦なのだが、
そんなに読んでどうするんだ。
全部を読むことなんかできず、必ず「半ば」でぼくの人生も終わるはずなのに、
それでも、その中途半端な結末にむかっているのはなんでだ。
もうやめたい。もっと眠りたい。もっと別の楽しいことをしたい。
もう十分だろう。

21時33分

読みかけの本を置いて、これを書き始めた。

それはそれとして、『資本論』をちゃんと読みたいと言う人はいないだろうか。
ぼくは、これまでに3回読んだ。読んだけれども、難しい。
特に第一章第一篇。のっけから難しい。それは理解したい。

という動機から、『面白い資本論講座』を考えているだが、参加者はいないだろうか。
今更『資本論』なのだ。講師の先生は、塩見孝也さん。亡霊ではなく、本物の塩見さん。
こないだ、塩見さんと話していて、そんな話になったんだが・・・

『アスペルガー症候群』岡田 尊司
『必ずわかる! 「○○(マルマル)主義』事典』吉岡 友治
『日本赤軍派―その社会学的物語』パトリシア スタインホフ
『総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか』産経新聞取材班
『監獄記―厳正独房から日本を変えようとした、獄中20年。』塩見 孝也
『マルクス経済学』松尾 匡
『島へ免許を取りに行く』星野 博美
『思想としての右翼』松本 健一
『保守のヒント』中島 岳志
『功利主義入門』児玉 聡
『それをお金で買いますか 市場主義の限界』マイケル・サンデル
『寝ながら学べる構造主義』内田 樹