『日常の思想』【戦後日本思想大系14】編集・解説_高畠通敏

2007年12月16日 22:54:41

写真

打ち合わせ、みたいなのがあり、
ぶらぶらと池袋と新宿。

朝も昼も外出先で食事。

お昼にカレーを食べて、満腹し、
(ああ、今おなかの中で頑張って消化してるんだなあ)
と、感じると、
もう、訳が分からなくなる。

例えば、1日3回食べたら、1日3回消化運動をし、
おなかをすかせてくれる。
それをいつも無駄に思う。
食べることの意味を問いたくなる。

というか、
現在の人間の肉体システムは、これが完成形?
最終形態?かな?

食べなくてよい体にはならないのかなあ。
肉体の各機関を動かす燃料として、
食物の摂取(栄養剤や特化された錠剤を含めて)しかないのかなあ。
もっとどうにか効率よくできないもんかなあ。
食文化・・・
食べることを文化にすり替えて、
経済構造にまで進出。

食べることの、恥ずかしさ。
それを文化などと・・・

食べる時間を無駄だと思う。
消化するエネルギを勿体なく思う。
林立する「食べるものを」売る店になぜか気後れしてしまう。
そこに自分が入り、何かを口に入れる行為を恥ずかしく思う。
おいしいと感じる感覚すら、恥ずかしく思う。

お昼のカレーは、おいしかった。
満足だった。
けれどもそれは、食欲が満たされた満足と
そして、
食べることを終えられ、恥の責め苦から解放された満足と、

どちらの比率が多いか・・・
次の待ち合わせに向かいつつ、

食べずにすむ肉体を手にいれられるなら、
多大な犠牲をはらうだろうなあ、と考える。
肉体のバージョンアップに伴う不具合にも頑張って耐えるなあ。
肉体再インストール後の面倒な各種設定も頑張ってやるよ!

と、思う。

『日常の思想』【戦後日本思想大系14】
編集・解説_高畠通敏

第14巻を読了。
タイトルからは、その論点が窺い知れなかった本書。
「日常の思想」?何だそれ?って感じで。
巻頭の解説には、そこのところが丁寧に書かれているのだけれども、
解説を読めば読むほど、

分からない・・・

のっけから、マルクスとM・ウェーバーの比較。
両者の論点の違いを丁寧に解説していっているのだけど、

(えっ?)

と、なるわけですよ、これが。
なぜならば、マルクスもM・ウェーバーもとっても高所から語るわけで、
だから、

(日常はどこ行った!)

って。
とはいえ、その両者の比較論はとても面白く、
あちこちに線を引き、
脳がわいわいがやがや嬉しく跳ね回るを体感しつつ、

本編へ。

全体を通しての論点としては、
一般市民の意識の変容、ということかな。
日本国民の政治への疑問の持ち方、
そして、それに続く政治参加。
個々人からの意見の発信。
読むから書くことへの意識の変化。

全体を通して、
〈日常〉というものを、
やはり、

政治的日常、
或は、
政治という一種のイデーに囲まれた個人、
また或は、
全体から個への意識の変化は、
同時に個から全体への化粧、

みたいな論点。
読み終えると、マルクスもM・ウェーバーも
焼け跡のバラックを歩き回ってたな。

この時代にインターネットがあったら、
どんなに凄いことになったかなあ、と、
それをとっても感じたのでした。


編集・高畠通敏
解説・「日常の思想とは何か」高畠通敏

【戦後〈常民〉の思想】
「戦後派の中間的性格」加藤秀俊
「生活から何が失われたか」宮本常
「伝統或は集団反射」きだみのる
「恥の文化再考」作田啓一

【〈実感〉と〈生活〉の論理】
「もう一つの知性」大野力
「政治的季節の中の個人」江藤淳
「退行計画」鶴見俊輔
「焼け跡闇市派宣言」野坂昭如

【〈ミニコミ〉の思想】
「『無名日本人』から」白鳥邦夫
「主婦と娘の生活記録」鶴見和子
「『雪と足』から」むのたけじ
「『声なき声のたより』から」
・・・「それはこうしてはじまった」小林トミ
・・・「政防法反対市民会議結成の呼びかけ」
・・・「もどろきさん」北沢恒彦
・・・「1965年6月15日」熊谷順子
・・・「少年ファシストの安保体験」笠井聖志
・・・「ふたつの悲しみ」杉山龍丸
・・・「『英霊』の個人原理を」市川白弦

【〈日常〉と〈運動〉の間】
「政治的市民の成立」久野収
「根もとからの民主主義」鶴見俊輔
「自立の思想的拠点」吉本隆明
「支配の論理と抵抗の論理」松田道雄
「河原乞食の栄光 その後ろめたさについて」永六輔
「人間・ある個人的考察」小田実