●6冊●『ボリース・パステルナーク』『二十億光年の孤独』『日本をダメにした10の裁判』『ことばになりたい』『殺しの双曲線』『すべては音楽から生まれる』

2008年6月8日 21:32:55

毎週土曜日、稽古が積み重ねられている。
休むことなく、毎週。
いい稽古が続いている。

人間が人間として考える稽古。
自分が自分として感じる稽古。

昨日も、美しい一瞬を見た。
自分の目の前で演じられる一コマの場面。
書いた本人も想定していなかった表情を笑った市川未来。
書いた本人も知らない貌を俳優は知っている。
稽古場で演じられる正しい稽古以上の演出方法はないのではないか。

俳優自身が感じる一瞬こそが演出そのものではないか。

脚本を書いている。
ト書きという一つの「この作品」における論理を
延々と書き続けている。

先日入団した福井貴男。
役を与えられて、稽古場に立つ。
数分の場面。

そこにもやはり一瞬の貌があった。

それをみなで話す。
言葉が解放されていく。開放されていく。
言葉と感情が解放されていきながら、同時に劇団再生という貌に収斂していくことを感じた。

いい稽古だった。
解放と同時の収斂。Antinomie―

一夜明け、暗いうちに起き出して、本を読む。
肩こり頭痛なんのその、本を読む。
書店が開くのを待ちきれずに、ぎりぎりまで本を読み、
開店と同時に書店に。
数冊の文庫と新書を購入。
帰宅し、午後まで自宅で本を読む。

読めば読むほど、頭の中でわけがわからなくなる。

2通の手紙を書き、脚本はラストシーン。
あべあゆみが入力を続けてくれている『罪と罰』
ラストシーン。
原稿用紙に書きなぐられた青い文字が、入力されるとなんだか完成したようにきれいに並ぶ。

完成なんかしていない。
入力されてそう感じるだけ。
惜しげもなく、言葉を捨てていく。
惜しげもなく、画を捨てていく。

残るものは、一体なんだろうか。

毎週の稽古場で繰り広げられる俳優自身の大事件。
そこに行き着くまでにこの脚本に、

何かが残っているだろうか。

一言でも、何かが。
俳優という彼らに対抗できる一言。
彼らの中で存在を立つ一言。

一言の事件。