演劇論か、また或いは劇団再生論か

2008年4月22日 20:52:16

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坪内逍遥の文芸協会は、俳優の訓練を系統立てて始めた。
市川左団次の反逆精神と腹いせで自由劇場が立ち上がった。
新劇の団体が続々と出てきた。
近代劇協会、黒猫座、吾声会、創作試演会、公衆劇団、新劇社、狂言座、美術劇場、

それらの動きは、勢いが激しかっただけに、崩壊の速度も速かった。
文芸協会は坪内逍遥に見捨てられた。
文芸協会の解体から、芸術座、舞台協会、無名会ができた。
島村抱月は芸術座。スターは、松井須磨子。

しかし、まあ、うまいこといかない。
やりたいことには、金がかかる。
演劇で観客をいれ、もうけようとすると、やりたいことができない。
芸術座もそう。
よし、と、島村抱月が考えたのが、
金儲けのため、大衆迎合演劇をやり、お金をためて、
本当に自分たちの創りたい芝居をやろう、と。

半分、うまくいった。
スター松井須磨子が当たった。歌が当たった。
劇団に金が入ってきた。
よし、自分たちのやりたいことをやろう、と・・・

でも、彼らにはそれが、

もう出来なくなっていた。

僕は、色が好きだ。
脚本を書いているときにそのイマジネーションが顕著に出てくるけれど、
何もかものイメージが完全に着色される。

一枚目のタイトル。
それを書くときには、美しく淡い水墨画が見えている。
書きはじめる。

いろんな色が脳の外周部を回っているのを感じる。
いろんな音が脳の辺縁部を回っているのを感じる。
その回っている色と音が、

「やあ!」と言う日が、来る。

新劇は、崩壊していった。
大正のはじめには、誰も見向きもしなくなっていた。

しかし、今も残っている。

大正から昭和にかけて、演劇は息を潜めつつも、確かに生きていた。
戦争を潜り抜け、生き続けてきた。
アングラという時代を潜り抜け、
小劇場という時代を潜り抜け、
それらの崩壊の過程を潜り抜け、
俳優の個人主義時代を潜り抜け、

新しい演劇の息吹を感じる。
確かな確かな息遣いを感じる。

そして、昨年、劇団再生ができた。

日本発(もしかすると世界初)ではないか、

逆毛劇団!

その劇団再生たる逆毛も、

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終演後には、こんな。
幕が降りれば、命である逆毛は、その生を終える。
逆毛の命を再生させる次の舞台の日まで。

次の舞台に、また新しい逆毛が生き生きと生きる。

新しい人間が創造される。

まだ来ない8月が、懐かしい。