稽古から帰ってくると、コトバが待っている。ただいま。

2008年11月9日 00:43:11

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稽古が続いている。と言うよりも、劇団が立ち上がったときから、
稽古は続けられている。
休む週なく続いている。本番前の今は、週に4日。

今日も稽古。
時間前に稽古場に着いた。
稽古場の前で、市川未来と磯崎いなほが並んで腰掛け、
ぼんやりしていた。

もしかしたら、ぼんやりしていたのではないかもしれない。
のんびりかもしれないし、ぽやんかもしれない。
二人並んで腰掛け、そんなことをしていた。

稽古が続いている。
稽古を終えてて帰ると、コトバがなんだか機嫌悪そうに、居た。

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本番まであと1ヵ月。

書いた脚本に劇団員の命が在ろうとしている。
命のない演劇には、まったく何にもない。
そう、命。命と言う。命が必要なんだと。

劇団員が生きている。それが、命。

ぼくは、彼らの私生活を全く何にも知らない。
平日にどんな仕事をしているのか、あんまり知らない。
多分、みんなに聞いてはいるだろうけれども、さっぱり忘れている。
彼らがどんな生活をしているのか知らない。
一人ひとり、生きている。

歯を食いしばって生きているだろう。
耐え難い朝を起きもするだろう。
全身をこわばらせて目覚める朝もするだろう。
明日を恐れて横になる夜もするだろう。

生きている。稽古場に来る限りは生きている。
どんな朝もどんな夜もどんな今も楽にいくわけがない。
演劇に関わる限り、そんな日があるはずがない。
歯を食いしばり、奥歯がぼろぼろになる。

演劇に関わる限り、朝日まぶしい朝を、愛情に満ちた月をできるはずがない。

ただ、彼らには偉大な夜が、そして再生の朝があるだけだ。

同じシーンを何度も繰り返し、命の目覚めを、見る。

機嫌の悪いコトバも少し一緒に遊ぶと落ち着くのか、
気の抜けた顔をする。

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昨年末、忘年会でみんなが集まった。
雨の新宿、歌舞伎町。あの日から何度の稽古を重ねてきただろう。
あの日から止揚し始めた彼らの命。
命が必要なんだ、と言う。

生きている劇団員。
今、みんな何をしているだろう。
小道具をインターネットで探している劇団員がいるかもしれない。
明日の稽古のために台詞を覚えている最中の劇団員がいるかもしれない。
来年のために準備を考える劇団員がいるかもしれない。
次の公演の美術の準備をしている劇団員がいるかもしない。
何かを考え続けている劇団員がいるかもしれない。
ぼんやりのんびりぽやんとテレビを見ている劇団員がいるかもしれない。
歯をくいしばっている劇団員がいるかもしれない。
恐怖に打ち震えている劇団員がいるかもしれない。
なにものかと闘い続けている劇団員がいるかもしれない。

劇団再生には、劇団員の命しか、ない。

生きている、という、命。

洗濯をして、真夜中だ。
コトバの止まり木に洗濯物を干したら、
コトバがすぐに飛んできて、抗議の声を高らかにあげた。