コトバの奴が止まり木に着地を失敗して、落ちた

2009年1月16日 22:17:41

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落ちて、何が起こったんだ! ときょとんとしている顔を見て、
腰砕けに挫けた。
止まり木にうまくとまれないふくろうはふくろうじゃないぞ!
と言ってみたけれど、おっこちたところをのこのこ歩いている。

そして、ぴょいとジャンプして
今度はうまく着地。

そうだ、今日、はたと気が付いた。
ドストエフスキーの『貧しき人びと』の中には、彼の全ての人格があるじゃないか。
そして、彼が生涯をかけて見続けてきた「人びと」
後の作品群の人格の萌芽。
軽蔑される転落人生の父親は、
「罪と罰」のマルメラードフ」、「カラマーゾフ」の老父、「白痴」のイェヴゲーニィ。
どん底生活の訴訟マニアは、「虐げられた人びと」のイフネーメフ。
女好きの金持ちは、「罪と罰」のルージン、スヴィドゥリガイロフ。
そうだ、この処女作にドストエフスキーの視点が全てあったんだ。

「貧しき人びと」は何度も読んだ。
いろんな視点で読んできた。そして、今日、不意に気が付いた。
ぼくが初めて書いた脚本は、『罪と罰』。
この処女バージョンは、上演はしていない。
主人公ラスコーリニコフと宮沢賢治の童話世界をサンプリング手法で書いた。
そうだ。上演できなかったんだ。
大反対されたんだ。
今、映画やテレビで活躍されているたくさんの俳優さんや、
美術さんや、照明さんや、演出助手さんに。

「こんなの無理だよ。舞台にできるわけがない」と言われた。
今から20年以上も前。ぼくが10代だ。
「できるわけがない」そう言われた。

ラスコーリニコフ、どんぐり山、カラス軍、罪の桃の実、免罪符、人間の原罪と物語が犯す罪と罰。
そんなものがキーワードだ。
原稿がどこにあるのかわからない。
誰かに読んでもらったままになっているのか。
あらためて書けと言われたら、書ける。
宮沢賢治の螺旋構造的心的風景とドストエフスキーの破壊衝動。

できない舞台なんかない。
「できるわけがない」と言った彼らに、何もなかっただけだ。
舞台にする自信がなかっただけだ。
そんな彼らは、今活躍している。その程度の想像力で金を稼いでいる。

それが、ぼくの処女作だ。
その作品に、今に共通する何かがあるかな、と思った。
あった。何もかも今と同じだ。
螺旋構造、破壊衝動、罪、免罪符、原罪、物語・・・
20年書き続けてきた何もかもが、やっぱり処女作にあったんだ。

あの原稿は、どこにあるんだろう。

コトバは、上手に止まり木にとまっている。
上手にとまれるといいな、と思う。

しっかりと止まり木にとまっている。
しっかりととまれるといいな、と思う。
夕暮れから夢中になって本を読んだ。
気が付くと6時間経っていた。
首筋がおかしい。目の焦点がおかしい。
10時に読書を切り上げた。

原稿用紙を広げた。
万年筆にインクを入れた。
コトバにほーと言った。
コトバは、おっこちたことを忘れたふりして、威張っている。