●443●『北一輝著作集 第一巻 國體論及び純正社會主義』

2009年4月24日 01:14:09

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それにしても、まあ、いろんなことが、ある。
自分が欲する欲しないに関わらず、
思いもよらないことが、外部から起こる。
自分が決めたこと以外のことは、やっぱりめんどうだな、と思う。

本を読んでいたいのにその時間を強引に奪われたり、
時計の電池を抜いているのに、見たこともない電池をいれられたり。

だからといって、時間が延びたとは感じられない。
最後が延びたとは全然思えない。
見ず知らずの誰かが進める時間なんか時間じゃない。

ぼくの時間は、他人の時間とは違う。
そりゃそうだ。みんなそうだ。自分の時間と同じ時間を持つ他人が居るはずがない。
他人の時間を進めることができる人がいるとは思えない。

そう思うのに、
ぼくの時間を進めようとするぼく以外の他人がいる。
ぼくの最後を進めようとするぼく以外の他人がいる。
それは、いつもすれ違う世間だ。
世間とは、あなただ、と太宰は書いた。そうかもしれない。

たくさんの方にこのHPをご覧頂いている。
毎日毎日、こうして書いている。
あの日から、今日で859日。
1000日のその日まで、あと141日。

その日まで、あと、141日。
その時間を進めることができるのは、ぼくだけだ。
それにしても、いろんなことがある。それが、人生だ! と寺山修司。
冗談じゃない。それが人生であってたまるか。
いろんなことをおこすのが人生だ。

時間に逆らい続けて、逆さ回しの言葉を選ぶ。
逆さ回しにしか、真の真実を語ることができないのは承知。
順回しの時間には、常に偽の真実しかない。
しかし、偽の真実で世間が正常に進むこともまた真実。

少し、時間を進めるか。

『北一輝著作集 第一巻 國體論及び純正社會主義』北一輝(443)

数ヶ月かかって、楽しみながら少しずつ、読んだ。
ようやく読み終えた。
旧字・旧文体で読みづらいと言えば読みづらい。

帯には、

「本書は一九〇六年、北一輝二十三歳の時
自費出版されたもので
『一千頁の大著 人をして歓喜せしむ』と論壇は沸いた。
河上肇、片山潜、福田徳三、木下尚江は賛嘆し、
板垣退助は
『この書の発刊二十年おそかりし』を嘆じたという。

しかし本書で論ぜられた国体論、歴史観、経済論、社会主義論などは、
明治政府を震駭させ、
なかんずく東京日日新聞は
『我立国の基礎に関し特に教育上の本義に重大なり』と論難したため
『朝憲紊乱』の名目でついに発禁処分を受けた。
初版五百部は警視庁により直ちに押収された。

それ以来、本書は日本思想史上において、
『謎に包まれた古典』として伝説的な存在を保っていた。
著者は後年、中国革命に参加し、
二・二六事件で処刑されるという数奇な運命を辿るにいたる。

本書はこの名前のみ知られるに過ぎなかった伝説の書を、
その完全な形態において五十年ぶりに公刊するものである。」

とある。

明治政府が何を恐れたのか、それは、確かにわかる。
わかるが、これほど明確に系統立てた論旨があるだろうか。

ゆっくりと読んだ。
よちよちと一文字一文字這うように読んだ。
行きつ戻りつしながら読んだ。

目の前に第二巻が待っている。