●833●見沢知廉を読む 『極悪シリーズ』『蒼白の馬上』『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』『七号病室』

2009年5月1日 23:50:36



一日、見沢さんの本を読んでいた。そして、今回の舞台では、久しぶりに、
曲を書こうかな、と思った。
そういえば、舞台音楽の作曲は久しくしていない。
頼まれて、唄物を一曲とか、ピアノ曲を一曲とか、
ここ最近はそんな感じでしか舞台音楽を書いていない。

昔のように、作品丸ごと書いたのは、どの作品が最後か。

見沢さんの本を読みながら、脳内を刻むリズムがもう何年もぶれていないことに気が付いた。
見沢文学のビートは、『破綻』と『調律』だ。
そのリズムが流れ続ける。作曲をしようかな、と思った。

作曲には強靭な体力が必要だ。それは、
脚本を書く以上の体力かもしれない。
作曲し、譜面を起こし、録音し、化粧し、仕上げの編集。
工程が多すぎる。舞台一本書けるだろうか。体力が持つだろうか。

ごそごそと録音機材をセッティングする。
一台一台きれいに拭く。埃まみれだ。プラグを磨き、差し込んでいく。
コンセントを差込み、立ち上げていく。
キーボードの感触を確かめる。フェーダの滑らかさを楽しむ。
ミキサー、エフェクトと一つずつ立ち上げ、触っていく。
昔の感触が蘇る。
ヘッドホンをつける。

夕方の薄暗がりに、赤や緑や青のインジケータが点滅し、
作曲へのスタンバイが完了していることをこれでもかと誇示している。
(機材の方は完璧だ。お前はどうなんだ)

と、古めかしい機材たちが声を揃える。
今は、全てパソコンでの作業だろう。
こんな古い機材で録音に挑む作曲家はいないんじゃないか。
(さあ、弾いてみろ)

青い光が点滅しながら挑発する。
いいだろう、一曲作ってやるか!
キーボードの前の譜面立てには、『天皇ごっこ』と『調律の帝国』
右手のテーブルに五線譜。左手テーブルにコーヒーと灰皿。
いくつかのフレーズをメモ的に弾いていき、五線譜に書き留める。

『天皇ごっこ』を開きながら、全体の曲を創造する。
コーヒーに口をつけ、イントロから譜面を起こしていく。

久しぶりに録音だ。緊張する。録音準備が完了したと赤い光が点滅を続けている。
そのボタンを押せば録音スタート。
昔から、

一発目のテイクが一番良かった、ことを思い出した。
弾けば弾くほどダメだった。時間と体力を浪費し、結局最初のテイクに戻ったものだ。
勝負は一発目だ。そして、これが最後のテイクだ、と自らを追い込み緊張を楽しむ。
いくか!

録音を開始する。クリックカウントが流れる。
見沢知廉生誕50年記念展、その舞台『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』
作中に流れる音楽を録音していく。
とはいえ、サンプルといえばサンプルだ。
脚本も書かれていない。
脚本が仕上がり、稽古が始まり、全体が見えてからの作曲になるだろう。
本番前2週間が作曲の期間となるか。体力勝負だ。

見沢さんの本4冊は、どれも文体が違い、論点が違い、見据える完成の形が違う。
けれども、通底するリズムは同じだ。
だから、曲を書きたくなったのかもしれない。

10トラックを重ね、一旦機材の前を離れた。
簡単にミックスしたものを聞いてみる。
そう、こんなんだ。こんな古臭いリズムに流行に捨て去られた形式。
クリシェ的展開。ステレオタイプの一曲。いいねぇ、と知らず呟く。

久しぶりに作曲してみるか。
その前に、脚本を書かなきゃ。5月1日。書き始めるとするか。

『極悪シリーズ』見沢知廉(240)
『蒼白の馬上』見沢知廉(157)
『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』見沢知廉(252)
『七号病室』見沢知廉(184)