●487●『石川三四郎集』【近代日本思想大系16】

2009年6月19日 00:28:00

写真

幾冊かの資料を左手に脚本を書き足している。
(しかしまあ、こりゃもう脚本じゃないな)そう思いながら、一言一言書き足している。
一文字一文字升目を埋め、ふと手が止まると夜はこんなに白いのか、と怯える。

目の前に見沢さんが一番好きだったという革ジャンがある。
昔ながらのライダース。よれた革にインナーは真っ赤だ。
扇風機の風にわずかにゆれながら、見沢さんの革ジャンが目の前にある。

脚本を5枚書いて、ペンが止まった。
続きを書けなくなったのではない。不意に呼吸が苦しくなった。
空気が欲しいと、窓を開けるためにペンを置いた。

書いた5枚の原稿を読み直してみる。いいも悪いもない。
体裁も手法も経験も何もかもを無視した今回の脚本だ。いいも悪いもない。
ただの脚本だ。なんのことはない。ただの脚本だ。

コーヒーを淹れて、付箋だらけの資料をぱらぱらとめくる。
目に付く言葉を拾ってみる。それらを自身の内面の言葉と照らし合わせながら、
煙草に火をつけた。それにしても、夜が白い。

明後日から、今書いているこの脚本を使っての稽古が始まる。
いつもどおり脚本を読むことから稽古はスタートする。けれども、
今回は、その本読みが問題だ。

これを誰かに見せて、舞台の脚本だと判断できる人はいないのではないか。
それも一興。さて続きを書き足すか。本読みをどうするか、と考えていたことを
一時停止。ままよ。突っ走れ。

『石川三四郎集』【近代日本思想大系16】

(487)
編集・解説/鶴見俊輔

着々と一冊ずつ全集を読み進めている。
古今東西の思想家を次から次へと読んでいく。だんだん何がなんだかわからなくなってくる。
石川三四郎を読んだ。この本に出会うまで、石川三四郎という思想家を知らなかった。
どんな人なのかも知らなかった。今では、忘れ去られた思想家なのかもしれない。
読んで驚いた。こりゃ凄い、と驚いた。
どうしてどこの出版社も出さないんだろう。岩波でも筑摩でも、一冊でいいから出せばいいのに。

石川三四郎が当時、周囲に与えた影響は凄いものがあるようだ。
無政府主義・アナーキズムに分類されるのだろうけれども、
アナーキーと一言ではくくれないあまりにも大きな思想の波がある。

近大日本思想大系、次の一冊を注文した。岡倉天心だ。
そして、今読んでいるのは、世界の名著の中からユートピア社会主義者たちの一冊。

さて、夜は白いままか。

書くか。


『石川三四郎集』【近代日本思想大系16】
編集・解説/鶴見俊輔

虚無の霊光
堺兄に与へて政党をを論ず
木下尚江との往復書簡
近世土民哲学
歴史哲学序論
潮の干満
社会美学としての無政府主義
幻影の美学
五十年後の日本

「石川三四郎論」大沢正道

解説/鶴見俊輔

年譜
参考文献