『コロノスのオイディプス』『蜂』『地獄の季節』『イワン・イリッチの死』『フォイエルバッハ論』『朱の丸御用船』『新書365冊』『統計数字を疑う』『高熱隧道』『破獄』『赤い人』『砂の女』

2010年9月27日 21:15:48


『砂の女』安部公房
『高熱隧道』吉村昭
『破獄』吉村昭
『赤い人』吉村昭
『コロノスのオイディプス』ソポクレス
『蜂』アリストパネス
『地獄の季節』ランボオ
『イワン・イリッチの死』トルストイ
『フォイエルバッハ論』フリードリッヒ・エンゲルス
『朱の丸御用船』吉村昭
『新書365冊』宮崎哲弥
『統計数字を疑う』門倉貴史

安部公房、太宰治、丸山健二、ドストエフスキー

どうしても読みたくる時がある。そんなときは貪るように、読む。
数年に一度は、そんな時期が必ずやってくる。
小説だ。公房も太宰も丸山健二もドスト氏も素晴らしい小説世界を遺した。

吉村昭で、きた。
これは初めてだ。吉村昭を読みたくて仕方ない。読みたいというよりも触れたい、だ。
人生初の吉村昭週間。

吉村昭の小説はほとんど読んでいる。
全集を読破したわけではないので、全部、とは言えないけれども、
それでも入手できるもののほとんどは読んだはずだ。それほど好きだった。

これまでに再読したものは、たかが知れている。
『破獄』は何度も読んだ。『仮釈放』もそうだ。『朱の丸』も何度か読んだ。
それにしてもこんなに吉村昭がほしいと思ったことはなかった。

段ボールから探せるだけ探し出し、手当たり次第に読んでいた。
合宿前の数日間は吉村昭だけを読んでいた。
合宿中は古典だった。古典を読みながら、吉村熱がおさまるかと思っていたら、
そんなこともなかった。もっともっと吉村昭。

それにしてもだ、食事ということのなんという恥辱。
どうしても受け入れられない。ものを食べるという破廉恥な行為。
咀嚼という行為を思い浮かべるだけで、鳥肌が立つほど嫌悪が走る。
食べるということは生存に必要な本能としての欲望なんだろう。
睡眠、性欲、食欲、征服欲、名誉欲、金銭欲、存在欲。
何もかも淫らだ。何もかも破廉恥だ。何もかも恥辱だ。芸のかけらもない。

『赤目四十八滝心中未遂』を観ようと昨夜、プレイヤにセットしたけれども、

こんな酷い疲労を貼り付けた体でそれを観たら、こんなに上昇している頭で観たら、
一か八かの結果がでるんじゃないか。
100点の結果が出るなら良し、けれども下手をしたらマイナスどころか

破滅的な結果を導き出すかもしれない、と、すぐにイジェクト。
『名探偵コナン』をプレイ。
机に右ひじをつき、その手に顎をのっけて、ぼんやりとコナン君を見ていた。

コナン君、すごいなあ、
あゆみちゃんはかわいいなな、
ぼくがコナン君になったら、どうしようかなあ、
身近に博士はいないし、

どうでもいいことを意識的に表象にあげて、合宿で手に入れた一行の真実を客体化した。
そうだ。一行の真実。まだまだこの主体にべったりと張り付いている。
今のままではただの思い付きだ。時代を超える普遍性をもつことができる一行だという予感がある。
育て方を間違えなければ、必ず一般化され、普遍性を持つ。
そのために、ぼくという主体をどこまでも、どこまでも、

一旦、排除する。

どんなに排除しても、いずれ必ずまたぼくに戻ってくる。
当たり前だ。ぼくの言葉だ。ぼくが手にいれた言葉だ。たった12文字の一行。
今は、

思考の周辺を自由に遊ばせるに限る。
それにしても、酷い疲労だ。こんなに疲れられるものか?
肉体が、じゃない。肉体はそれほど疲れてはいない。普段の生活のほうが疲れる。
脳疲労。目の奥の鈍痛。継続する頭痛。目の奥と額の奥に居残る重たい痛み。
後頭部全域に広がる浮遊感といら立ち。

脳のエネルギーは唯一ブドウ糖。
病院ならば点滴をぶち込めるが、と、チョコレートを貪る。
まずは脳内にブドウ糖だ。それから目を閉じることだ。
眠るんじゃ何が何だかわからない。覚醒していながら視覚情報を遮断する。
横になり目を閉じる。閉じた当初はいろんな絵がフラッシュするけれども、
それも次第に落ち着いてくる。それらの絵の動きが緩やかなになってくる。
その変化を閉じた目で追う。
心地よい時間の変化だ。

今日は何を観ようか。
そりゃ原稿は書く。脚本ではない。原稿だ。
頭をクリアにしていれば、一日10枚でも20枚でも書ける。簡単だ。
今日だって書いていた。

さあ、一本、何か、観よう。
『俺たちに明日はない』か、それとも『太陽がいっぱい』か。